天地明察-5

と道策は、棋譜にはない打ち筋を加えてはどうか、その方が将軍様にもわかりやすいのではないか、と積極的に石を打ちながら主張し、元気を取り戻した。春海は一つ一つの応手を確認しながら、おおむね道策の意見を採り入れて上覧碁の棋譜を完成させた。 棋譜自体はどうでも良かった。これでまた一つ仕事が済んだことが大事だった。春海の脳裏にはさっそく算術のあれこれが勝手に浮かび上がるのも知らず、「星を見るお役目から、一日も早く戻られますよう、お待ち申し上げます」 道策は、幻の〝六十番勝負を、現実に待ち望むような笑顔でそう言った。「うん」 うなずきながら、今や星にも碁にも心を傾注していないとは、さすがに口にできなかった。 ただ、石を片づけた後の碁盤の〝天元を見ながら、やはり設問は、暦術や星辰にかけたものにしようと心に決めた。 碁と出立、二つの公務の準備を整えながら、時間を作るための工夫に必死になった。一日も早く設問に取りかかりたいのを強いて我慢しながら、あちこち挨拶回りを済ませ、諸事の段取りを済ませた。二日、三日、と日が過ぎていった。村瀬から借りた稿本を、安藤の分も書き写すという作業もあった。これほど忙しい目に遭うのは初めてだったが、ちょっとした雑務にも快い緊張を感じた。自分の人生が輝いているようにすら思えた。 まさにこれこそ己が欲した〝春の海辺であるのだ。そういう実感が日ごとに湧いた。 設問を心に誓ってから七日目の晩、春海は自ら定めた期限通り、その問題を作り上げた。 まさに全身全霊を尽くした問題だと、春海自身、信じ切っていた。 だがそうではなかった。       六「怪問だな」 村瀬がまじろぎもせず言った。唸るようだった。塾の大部屋の長机を挟んで春海と向かい合って座っている。早朝のため塾生たちは誰も来ていない。長机には春海が作った問題が記された紙片が置かれており、傍らには謹んで返却された関孝和の稿本があった。 その他に、えんが淹《い》れてくれたお茶と、春海が持参した干し柿が並んでいる。 干し柿は、早朝から磯村塾へ行くと告げた春海に、土産として安藤がわざわざ持たせてくれたもので、会津藩邸の名物だった。作るのは主に中間《ちゅうげん》たちだが、藩士なら誰でも干し柿の作り方については一家言あり、長々と講釈をぶってみせる。 その干し柿に、まだ村瀬も春海も手を付けておらず、えんだけが、やけに神妙な顔で、「美味しいですね、これ」 さっそく二つほど食べてしまった。 藩士なら、ぷっと勢いよく柿の種を掌に吐きだしてみせるところだが、えんは、そっと口もとを手で覆いながら種を出し、行儀良く皿に置く。その仕草に春海は見とれた。「俺の分も残しておけよ、えん」 言いつつ、村瀬は、じっと問題を見つめたままでいる。「なら召し上がったらどうです」 呆れたような様子で三つ目を手に取りながら、えんも、春海の問題を覗き込んだ。『今有図如 大小方及日月円蝕交 大小方相除シテ七分ノ三十寸 問日月蝕ノ分』『今、図の如く、大小の正方形と、日月の円が、互いに蝕交している。大の正方形の面積を、小の正方形の面積で割ると七分の三十寸になる。日月の蝕交している幅の長さを問う』[#挿絵(img/143.jpg)] 正方形の面積から対角線の長さを求めさせ、さらにその線分から日月の直径を求めさせる。 そして、〝円弦の術と呼ばれる、円内に記された線や弧の長さを求める手法のうち、主に〝径矢弦の法と呼ばれるものを用いて、日月が交わっている箇所の〝分を求めさせるというものだった。ここでいう〝分は、日蝕や月蝕の程度を表す言葉で、日月の円の中心点を結んだ線のうち、日月が交わっている部分の幅の長さを示している。 とにかく春海の知る算術を片っ端から盛り込んだ、複雑一辺倒の、まさに〝怪問だった。 その分、全てを出し切ったと春海自身が己に対し断言できた。何より、〝七分の三十寸という数字に、あの金王八幡での感動が強く込められている。 さらには〝蝕という、天文において、最も衆目を集める現象を主題としていた。「良いだろう」 やがて村瀬が顔を上げ、「こいつをこの塾で貼り出すことを許可しよう。ただし、他の者も解答に挑む。構わないかい、渋川さん?」 村瀬自身も解答に挑まんとする気を大いに込めて訊いてきた。「はい。かたじけのうございます」 真剣な目つきでそう返し、深々と頭を下げた。 本音を言えば関孝和のみに対する設問だったが、こうして塾の一隅を借りる以上、仕方なかった。何より、そう簡単に解ける問題ではないという自信がある。もし関孝和以前に、村瀬や他の者に解かれてしまうようなら、そのときはそれまでである。というより、そんなことはもはや考えに入っていない。もしもの場合を想定していられるようなゆとりはなかった。であれば関孝和の住居を訪ねて出題すればいい、という考えはない。あくまで互いに面識のない状態に意味があった。勝負の後でなら幾らでも親しくなって構わない。いや、むしろ相手が許すのなら、すぐにも親交を持ちたい。だが今はまだそうすべきではなかった。「名を記しても構いませんか?」 春海は律儀に訊いた。「勿論《もちろん》だ」 村瀬から筆記具を渡され、春海は、まず設問の前に、『関孝和殿』と黒々と書いた。「そっちの名か」 村瀬が苦笑した。えんも目を丸くしている。二人とも春海が自分の名を記すと思っていたらしい。「名指しですか」 えんが心配顔になる。村瀬は肩をすくめ、「まあ関さんも嫌がりはせんだろうよ。問題がそこにあればいいという人だからな。で……自分の名は?」「では、お言葉に甘えて」 などと言いながら『渋川春海』の名を末尾にしっかりと記した。「さて、こいつは玄関に貼っておくが、関さん以外の者にも解答を許すということは俺が書かせてもらう。出題はこいつだけかい?」「同じ問題を、金王八幡に奉納させて頂くつもりです」 そう言って、既に問題を記した絵馬を出してみせた。碁会の帰りに日吉山王で買っておいた絵馬板である。江戸の神社であれば、奉納料さえ払えば絵馬板自体はどこで買っても、そうそう文句は言われない。「絵馬まで用意したのですか」 えんが感心するというより、呆れるような、叱るような調子で言う。「よっぽど本気なんだなあ、渋川さん」 村瀬が面白がるように微笑み、「金王へは、えんと一緒に行くといい」 春海とえんが、同時にびっくりして顔を見合わせた。「えんさんと?」「なぜ私が?」「一緒に行けば奉納料をまけてくれる。ところで渋川さん、あんた独り身だったね?」 恬然《てんぜん》とそんなことを言う村瀬に、春海はただきょとんとなった。「はい……まあ」「村瀬さん?」 えんも不審そうに眉《まゆ》をひそめている。だが村瀬は勝手に話を進めて、「えんも金王の宮司にはだいぶお世話になっているんだ、何か包んで行くといい」 立ち上がり、荒木家の本邸へ行ってしまった。「なぜ私が?」 えんが同じ質問を繰り返して春海を睨んだ。「私が頼んだわけでは……」 春海はなぜか小さくなりながら抗弁している。「塾生でもないのに、そこまで親切にしなくても良いでしょうに」 ずけずけとえんが言う。まったくもってその通りで、春海は何も言えずにいる。「だいたい、なぜなのです?」「……なぜ?」「なぜ、あなたはここまでするのですか?」 そのとき春海の目に、一瞬、えんの顔に道策の顔が重なって見えた。道策だけではない。碁打ち衆たちの誰もが首を傾げて春海を見ていた。義兄の算知も、城の茶坊主衆たちも、老中酒井も、誰も彼も春海の行動を疑問視している気がした。「私は、算術に救われたんだ」 素直に言った。それ以外の答えが見つからなかった。「だから、恩返しがしたい。算術と、素晴らしいものを見せて下さった方の、両方に」 そうしようと思えばいつでも、金王八幡で見た絵馬が、『七分ノ三十寸』という答えが、脳裏に鮮やかによみがえった。その記憶が、いつか色あせるなどとはとても信じられない。「出題が、恩返し……ですか」 どうもしっくりこない、というように、えんが宙を見て呟く。 すぐに村瀬が、本邸から菓子の包みを持って来て、えんに渡した。 えんは、ぶつぶつ文句を言いながらも、春海の奉納に付き合ってくれた。 神社まで徒歩で行った。春海は駕籠で行こうとしたが、「贅沢です」 えんに断固却下された。刀の重さでふらふらしながら辿り着くと、神社の主に、「こんな季節に絵馬ですか?」 ひと月後には灰になるのに、と不思議そうな顔をされた。しかも二刀を腰に帯びた者が、女連れで神社に来るということ自体が珍奇だった。絵馬を奉納するとき、えんが並んで拝んでくれた。お陰で、境内に居合わせた近所の者たちから、侍が女連れで神さまに祈っている、と珍妙なものを見るような目を向けられた。だが春海は素直に嬉しかった。 自分の絵馬が、他の算額絵馬とともに並ぶのを見て、かつてないほど心晴れやかな思いを味わった。やるだけのことをやった後の日本晴れたる心持ちである。 だが、それも長くはもたなかった。やがて暗雲がたれ込め、ついには霹靂《へきれき》となって春海を打ちのめすことになった。 塾に設問を託してのちは、打って変わって日が経つことが待ち望まれた。いや、待ち焦がれたと言っていい。村瀬からは、関は大抵月の半ばと未に、塾を訪れると聞いていた。四日か五日は待った方が良かった。あるいは誰かが、麻布の塾に、名指しの設問があると噂すれば、関も興味を持って足を運んでくれるのではないか。そんなことを、やきもき考えるのが一日ごとに辛《つら》くなってきて、多忙さで気を紛らわすことを求めた。 碁会に出席し、道悦と上覧碁の最後の打合せを念入りに行った。 ところで本因坊道悦は大の甘党で、打合せのときは必ず菓子がそばにある。一時期、金平糖ばかり食べるので、金平の読みを変えて〝きんぴら師匠などと渾名されたこともあった。打合せに干し柿を持参したところ、大いに喜ばれた。 出立の日が決まった。 御城碁の勤めを終えて二日後の十二月|朔日《ついたち》である。積雪が心配される十二月中旬より前に江戸を出るとのことだった。観測隊の中心人物たちへの挨拶回りもつつがなく終わった。 出題してから四日後の昼、春海は麻布の塾へ向かった。御城碁は翌日から始まる。その日、解答がなければ、設問は春海が帰還するまで最低丸一年、貼り出されっ放しになる。 荒木邸の手前で駕籠を降り、念入りに二刀を差し直した。いざ向かおうとして足がすくみそうになる自分をごまかすための身繕いだった。しっかり帯を締め直し、相変わらず刀の重さでやや左へ傾きながらも、意気軒昂を装って大股《おおまた》で進んだ。 荒木邸に入ると、塾へ出入りする門下の者たちから挨拶された。春海も、「ごきげんよう」 鼻息荒く返し、ずんずんと塾へ向かっている。自分の足音が異様に大きく耳に響いた。心臓が早鐘を打って今にも肺腑を押し分け喉《のど》から体外へ転がり出そうな気分だった。開きっ放しの玄関戸をくぐると、大勢の者の履き物が並んでいる。塾内は静かで、どうやら村瀬による講義が行われているらしい。門下の者たちがいそいそと玄関を上がって奥へ向かうのをよそに、春海はじっとその場に仁王立ちになったまま動かない。というか動けない。すぐ右手の壁に、自分の設問が貼り出されている。それが分かっている。果たして解答はあるのか。さっさと確かめればいいのに、振り向くのが怖くて振り向けない。「もしもしッ」 いきなり背後から声をかけられ、びくっとなった。反射的に振り返りかけ、咄嗟に視界にそれが入った。互いに重なり合った、二つの正方形、二つの円。己が献げた〝怪問と、その余白が、はっきり目に映った。設問の隣には、『門下一同解答ス可シ』うんぬんの文字が村瀬の名とともに付箋《ふせん》に書かれて貼られている。関孝和より前に、誰か答えてしまえ、と言わんばかりである。 だが、解答は無かった。 余白に誰も何も書き残していない。一つの答えとてなかった。たちまち息もつけないほどの苦しみに襲われ、顔中が歪《ゆが》んだ。脱力してその場にひざまずいてしまいそうだった。やはり期限が切迫しすぎていたのだろうか。関孝和は来なかったのだ。そう信じた。御城碁の翌日にもまた来られるが、それで解答がなければ、次は丸一年後のことになる。 哀しい気持ちを通り越して、恨みがましい思いでいっぱいになって余白を見つめた。 よくよく見ると、余白の一隅に、〝,と〝一という墨の跡があった。 誰かが答えを記そうとして躊躇《ためら》った跡だろう。塾生の誰かが中途半端に挑もうとしたに違いない。そう思うと、なんだか怒りが込み上げてきたが、かえってその自分勝手な怒りを自覚したせいで余計に落ちこんだ。 がっくり肩を落としながら、先ほど声をかけてきた相手を振り返った。 えんが箒を持って立っていた。今度は逆さまにではなく、ちゃんと普通に持っている。どこか申し訳なさそうな、なんと言葉を継げばいいか惑う顔で、こう言った。「あの……関さん、来ました」 春海は力なく笑って、「……うん、そうか」 うなだれかけ、遅れて何を言われたのかに気付いた。はたと真顔になり、「来た!?」「はい」「来た……? では、なぜ解答が……」「書こうとされていました」 えんは困ったような顔で、右手を箒から離すと、そっと春海の設問を指さした。「そこに、何かを……。ですが、すぐに書くのをやめてしまわれました」 春海は再び設問の余白へ目を向けた。先ほどの半端な墨の跡を食い入るように見つめた。ここに何かを書こうとした。この変な記号だかなんだかわからない何かを。あの関孝和が。だがしかし途中で書くのをやめた。「な、なぜ?」 すがるように訊いた。「さあ……」 えんはますます困り顔になっている。「そ……そんな馬鹿な。途中で解答をやめるなんて。いったい何があったんだ?」「あの……これは村瀬さんがおっしゃっていたのですが……」「な、なんだ。なんと言っていた?」「解けなかったのではないでしょうか」 ぽかんとなった。解けなかった? 関孝和が? あの稿本を記した〝解答さんが? 一瞥即解の士が? 脳裏でぐるぐる言葉が巡るが口から出てこない。 関孝和が解けない。そんなことは考えてもみなかった。そのことに快哉《かいさい》の声を上げるべきか、愕然となるべきかまったく判断がつかずにいた。本来なら出題した自分としては、何者も解けずにいることを勝ち誇るべきであろう。事実、遺題の中には何年も解答されないものだってあるではないか。そう思おうともしたが、しかし、どうしても納得がいかない。ならばなぜ、中途半端に何かを記そうとしたのか。途中で答えが間違っていることに気づいたからか。一瞥で難問を解く男に、そんなことがあり得るのか。「あえて解かなかったのか……? 私が門下の者ではないから……」「そのようなことは、ないと思います」 妙にきっぱりとえんが言った。だが春海には他に理由が思いつかない。「関さんは……」 さらに何かを言おうとするえんを、首を振って遮った。「いや、いい。いいんだ。きっと私には資格がなかった。そういうことだろう」 それ以上、他の可能性を考えるのが辛くて咄嗟に言った。危うく涙声になりかけた。「お願いがある。私が江戸に帰ってくるまで、これをこのままにしておいてもらえないだろうか? 誰かが解いてくれるかもしれないから……」 あるいは関の気が変わって解答してくれるかもしれない。そういう思いが声ににじみ出ているのが自分でも分かった。なんだか未練がましいし、みっともなかったが、そう頼みでもしないとやりきれなかった。「帰ってくるまでというのは……‥」「来年か……その次の年まで」 えんが目を丸くした。「どこか遠くへ行かれるのですか?」 そう言えば出立については何も教えていなかった。というか、そもそも老中から仰せつけられた公務をそうそう誰かに話すわけにもいかず、「そうなんだ。頼むよ。頼む」 ただ伏し拝まんばかりに頼み込んだ。「……村瀬さんにそうお伝えしておきます。お約束はしかねます。それで良いですか」 というのが、えんなりの返答だった。こうして突っぱねられた方が気が軽くなることもあるのだな、と春海は他人事のように思った。「うん、ありがとう。よろしく頼みます」 頭を下げると、逃げるように塾を去った。虚脱した気分なのに足が勝手に速くなってゆくのを止められなかった。       七 茫然《ぼうぜん》となりながらも公務を無事に勤められたのは、一つに義兄の算知からの手紙に助けられてのことだった。安井家の棋譜を上覧碁に用いることについて、算知は、二代目安井算哲の意志を尊重してくれた。また、春海が、算術や暦術に没頭しながらも、碁の勤めをおろそかにしていないことを、〝まさに勤勉という感じで誉めていた。老中から命じられた新たな勤めについても喜んでいた。その全てが身に染みた。 情けない思いでいっぱいになりながらも、自分に鞭打つようにお勤めを全うした。 家綱様も珍しく、老中たちに、あの手がどう、この打ち筋がどうと精しく評されたりしていた。古参の家臣たちは揃って若い将軍様が自ら意見を述べられるのを嬉しく思っているようだった。そんな風に、始終、和やかな調子でお勤めが済んだ。 その後で、碁打ち衆たちがささやかながら春海の公務出立を激励する場を設けてくれた。まさか市井の私塾に心残りがあるなどとは言えず、春海はただにこにこと笑顔を作ってみなに感謝した。頑張って微笑みすぎたため目尻《めじり》が引きつって痛かった。 消耗し尽くして会津藩藩邸に戻り、日が落ちた暗い庭で、日時計の柱を見つめながら、なぜなんだろうと、ぼんやり考えた。なぜ関孝和は最後まで答えを書いてくれなかったのだろう。いっそ関孝和を訪ねて真意を質《ただ》したかった。だがそれをしては何かが失われてしまう気がした。怖くてとてもそんなことはできなかった。疲れ切っていたせいもあって頭がしっかりと働かず、ただ無性にやるせなさで心が沈んでいると、「ここにいましたか、渋川殿」 安藤がやって来て、いかにも結果を知りたくて待ち構えていたというように、「いかがでしたか、例の問題の方は」 と訊いてきた。 途端に春海の中で、どっと音を立てて何かが崩れた。息を継ぐのももどかしいくらい早口で結果を述べ、自分の思いを述べ、こんな気持ちのまま旅に出るのかと思うと情けなくて仕方がないことを切々と述べた。涙こそ見せなかったが、ほとんど泣きつくように喋《しゃべ》った。 安藤はくそ寒い夜の庭先で、じっと腕組みして立ったまま、事の次第を律儀に聞いている。そうしながら、目だけが何やら思慮深げに宙を見つめ、日時計を見つめ、そして春海を見つめた。かと思うと、「私も、渋川殿の考案された問題を解こうとしてみました」 何かの前置きのように、ゆっくりと重々しく告げた。「は、はい……いかがでしたか」「解けません」 まるで断定だった。「そうですか……」 春海はただうなだれている。安藤はさらに、「一つお訊きしても良いでしょうか、渋川殿」「はあ……なんなりと」「あの設問、術から組み立てましたか? それとも答えからですか?」「両方からですが……」 日月の蝕交の分は、実は七と二十三の平方根を足して、四で割ったものになる、ということまで春海は安藤に話した。七と二十三は足して三十。〝七分の三十寸にあくまでこだわった答えだった。だが、ただ七と二十三を足すのではなく、それぞれ開平させてから足させるところに自分なりの工夫と主張があった。 ふーむ、と安藤は唸った。どうも、ただ難問ゆえに解けない、という態度ではない。 ふいに春海は不安が棘《とげ》となって内側から刺すような感覚に襲われた。 最初は小さな棘だったが、むつかしげに唸る安藤を見るうちに、絶え間ない棘波《きょくは》とでもいうべきものになっていった。急に周囲の寒さが迫って体が震えた。いや、愕然となるあまり、心が恐怖で凍りつきそうになった。「ま……まさか……安藤殿……。わ、私の設問は……」 安藤はうなずいた。春海を慌てさせるのではなく、落ち着かせるための仕草だった。「しかと断ずることはできませんが、もしかすると……」 最後まで聞くことができず、春海の足から力が抜けてその場にひざまずいてしまった。「まずはひと晩の熟考が肝要かと思います。それから明日、もう一度、塾をお訪ねになるのがよろしいでしょう。出立前に多忙とはいえ、心残りは取り除くべきかと思われます」 安藤はそう繰り返して、夜の闇の中、麻布へ走り出してしまいかねない春海を宥《なだ》めた。 春海は悪寒でもするように、わなわな震えながら自室に戻っている。そろばんと算盤をそれぞれ並べ、自分が組み立てた設問の写しを広げたが、薄暗い灯りの下で見ようとして、猛烈な吐き気に襲われて呻いた。もう少しで本当に吐いてしまいそうだった。 とても直視できず、耐えかねて眠ることにした。本当にそうすることしかできなかった。 翌朝、春海は跳ね起きた。明け六つの鐘の音がどこからか聞こえてくる。慌てて身支度を整えながら、これから断罪を迎えるような思いが込み上げてきた。観念する気持ちが七とすると、自分の今の考えが正しいのであれば、是が非でもあの設問を塾の玄関から引き剥《は》がしてしまわねばならない、という思いが三十。そんな考えがよぎり、めまいと吐き気に襲われた。 提灯《ちょうちん》を持って庭に出て、ぎょっとなった。晴れ渡った空とは裏腹に、地上は一面、雪景色だった。いつの間に降ったのか。何もこんな日に降らなくても。邸を出ながら、くるぶしまで積もった雪上を、刀を抱えて歩くという困難に、泣きそうになった。今ほど、馬鹿みたいに重たいだけの刀を怨んだことはなかった。駕籠を求めて急ぎながら、二刀とも堀に放り込んでしまおうか、という考えがしきりに起こる。うっかりそうしてしまいかねない自分に、我ながら怖くなったところで駕籠にありついた。 とにかく気が気ではなかった。麻布に着くなり駕籠を待たせず荒木邸へ走った。駕籠を待たせなかったのは、戻ってきたとき自分がどんな顔をしているか分からなかったからだ。 辺りは明るく、荒木邸の門は既に開いていた。刀を引きずるようにして門をくぐり、塾へ向かった。塾の戸は閉まっていたが、手をかけたらすんなり開いた。 朝の明かりが玄関の壁を照らし、その一角に貼られた己の設問が目に飛び込んできた。 よろよろ歩み寄った。設問の余白に、ぽつんと記された意味不明の記号があった。 いや、今やその意味は明白となって春海の意気をさんざんに打ち据え、挫《くじ》いていた。 無だ。〝,と〝一は、〝無という字を書こうとして止めた跡なのだ。『無術』 関孝和はそう書こうとしたのだ。 術が存在しない。すなわち〝解答不能の意だった。 よくよく見ると、設問の、『七分ノ三十寸』の箇所に、薄く傍線が引かれている。さらによく見ると、『大小方』にも傍線があった。春海は目玉を眼窩《がんか》から押し出さんばかりに瞠目《どうもく》した。 まず何より自分が拘《こだわ》った数字こそ、設問の病根だった。数字にばかり拘った挙げ句、現実に存在しない図形を作りだしてしまったのだ。そもそも図形とは理念の中にのみ存在するものである。完全に誤差のない図形などこの世に存在しない。誤差を完全に消すには、線から限りなく幅を奪い、点から限りなく面積を奪わねばならない。そんなことは不可能である。 だが線を幅のないもの、点を面積を持たないものとして想定することで、初めて複雑な算術が構築できる。いわば算術はこの世を映す鏡像だった。現実には存在しない鏡像を通して、数理という不可視のものを見て取ることができた。 けれども、これはそういう考えからも完全に外れている。 第一に、術を求めてゆくと、正の数と負の数の、複数の解答があり得た。昨今では、ときに算術において、複数の答えが導き出される場合があることは広く知られるようになっている。だがそれらは〝病題と呼ばれ、あくまで〝一問一答こそが算術の王道とされた。 第二に、これは術そのものに矛盾を抱えていた。大小の方の辺の比は、春海が用意した答えでは単純に偶数と奇数になる。そうでなければならない。だが小方と大方の辺の比を求めてゆくと、にわかに矛盾が発生する。 大方の一辺は、すなわち小方の対角線であり、偶数である。そして小方の対角線は、奇数である。これらが同時に成り立ってしまう。奇数であると同時に偶数である。術を工夫すればするほどそうなる。完全な矛盾だった。なぜそんなことが起こったのか。〝術から組み立てましたか? それとも答えからですか? 安藤の言葉が雷鳴のように脳裏に響いた。設問の半ばを、あらかじめこうと決めていた答えに依存したせいだった。それがはっきり分かった。関にもそれが分かったのだ。春海と違って、一瞥して見抜いた。それで『無術』と記そうとしたが、そこで出題者である春海のことを慮《おもんぱか》った。算術遣題の中には、あえて解けない問題を出し、術が無いことを見抜かせるものもある。もし春海の設問がそのたぐいのものであるなら『無術』こそ『明察』となる。だがもし、春海が設問を間違えて、答えがあると信じて出題していたとしたら、塾の真《ま》っ只中《ただなか》で春海を嘲笑《ちょうしょう》することになる。だからあえて、〝無の最初の二画だけで書くのをやめた。それなら春海が意図して設問をしていた場合でも、誤っていた場合でも、春海に〝無術であることを、それとなく伝えられる。憎らしい心遣いだった。いっそ余白全部を使って、誤問であることを罵って欲しいくらいだった。とともに、〝術を解することうかつなる者は、すなわち算学の異端なり あの稿本に記された関の言葉が、何もない余白に浮かび上がるように感じ取れた。 術を解することなく設問してしまった。出題してしまった。衆目に晒し、あまつさえ神に献げた。自分は算術を汚し、泥を塗った。〝七分の三十寸のもともとの設問を作った村瀬にも。見事に解答してみせた関にも。横から割り込んだ愚か者が泥を塗って何もかも台無しにしてしまった。何が勝負か。何が術理か。うかつなる者。まさに異端だった。望まれもせずにしゃしゃり出た愚者だった。「ううおおお、あああ……」 背骨がひしゃげるような呻き声が湧いた。 設問を記した紙を引っぺがし、くしゃくしゃに丸めて己の胸に両手で押しつけた。そうしながらも、次にどうすればいいか分からない。一刻も早くこの場を立ち去り、こんな愚かな設問など存在しなかったことにしたかった。なのに氷のように冷たい玄関先に膝をつき、剥がした分だけ空白となった壁の一点を見つめたまま、動けなくなってしまった。 腹を切ろう。いきなりそう思った。今ならやれる。〝一文字だろうが〝十文字だろうが〝米の字だろうが、ばっさばさに己が腹を切りまくって死ねる。 丸めた紙を左手に握りながら、右手だけで脇差しを鞘《さや》から引っこ抜こうとした。 むろん普通は鯉口を切ってから抜く。鞘を引っ張っただけで刀が抜けたら危なくて仕方ない。 だが咄嗟に思いつかなかった。刀まで自分を嘲笑《あざわら》っていると思った。格闘の末に、やっともぎ取るようにして刀を抜き、勢い余って横倒しになった。片方の耳に、冷たい地べたに横っ面を打ちつける音が、もう片方の耳に、押し殺したような声が響いた。「な……何をしているのですか、あなたは」 えんがいた。最後に見た箒が、またもや逆さに揺られている。ちょっと怯《おび》えたような顔で、刀を抜いたまま地べたを這《は》う春海を見下ろしている。「は……腹を切りたくて……」 とことん素直に春海は言った。たちまち、えんが血相を変え、「誰が掃除をすると思っているのですッ」 無体に叱られて、ただでさえ泣き顔の春海の顔がさらに歪んだ。「ほ、他に思いつかないんだ……」 握った刀の先をふらふらさせながらその場に正座し、啜《すす》り泣くような声で訴えた。「やめて下さい。あなたの手では、きっと無理です。刺したまま動けなくなります」 いかにも武家の娘らしい言い分だった。実際、春海の腕力では、刃を己の腹に突き入れることはできたとしても、肉を裂けるかどうかは非常に怪しい。「今どき武士でも見事に切腹できる者は少ないと、父が言っておりました。ほら、早くしまって下さい。こんな所を父に見つかったら喜んで介錯《かいしゃく》すると言い出しかねませんから。腹を切る前に、首を落とされますよっ」 いつの間にか箒を本来の持ち方に戻しながら、えんが言う。すっかり脅されて悄然となった春海は、唇を噛《か》みながら、刃を見つめた。確かに無理だと思った。もたもた鞘に納めようとしたが切っ先がずれて、鞘を握る左手の親指と人差し指の間を突き刺した。「あ、痛ったあ」 刺したと言っても血も出ていない。なのに腹を切りたがった者とは思えぬ狼狽《うろた》え方で左手を振り、握りしめていた紙を放り出してしまった。「なんです、これは?」「い、いや、それは……」「危ないッ。早く刀を納めてッ」「う、うん……」 刀をやっと納める間に、落ちた紙を拾われ、目の前で広げられてしまった。「あなたが作った設問ではありませんか。ご自身で剥がしたのですか?」「うん……」「いったいどうしたのです」「間違いだった」「え?」「何もかも間違いだった。設問しようなどと考えたことが間違いだった」 地べたに座ったまま、なぜ関が解答しなかったのか一気に説明した。えんも〝病題という言葉は知っていたようだが、具体的に術の何が矛盾しているのかは理解できないようだった。「間違っていたのでしたら、修業し直し、その上でまた設問されたら良いではないですか」 けろりと返された。全身全霊をかけての勝負だったのだと主張したところで同じことを言われそうだった。「わ……私にその資格があるだろうか」「もとからありません。門下にも入っていないのですから」 ずけずけと容赦のないことを言われた。「なのに村瀬さんが出題を許したのは、あなたに見込みがあると思ってのことでしょう。お陰で私まで付き合わされたのですよ」「そ……そうだ。あの絵馬も処分しなければ……」「いったん献げた品を、処分とはなんですか。焼き浄められるまで衆目に晒し、臥薪嘗胆《がしんしょうたん》してはどうなのですッ」「う……、しかし……」 すっかり悄《しょ》げる一方の春海に、ふと、えんが調子を落とし、なぜか溜め息をついて、「特別に打ち明けます。私も、いつか、設問できたら、などと思っていました」 春海はぽかんとなった。「設問? それは……関殿に?」「はい」 何が悪いというように睨まれた。「ですが、あなたの問題を前にしたときの関さんのお顔を見て、その気がなくなりました」「顔……?」「関さん、笑っていました。あなたのこの設題を見て、嬉しそうでした」 そう言って、なんとえんが微笑んだ。あの金王八幡で出くわして以来、春海に向かってえんが浮かべた初めての微笑みだった。その微笑みと言葉の両方に、春海は呆然となった。「笑っていた……?」 咄嗟に、関が誤問を嘲笑したのかと思われた。だが嬉しそうとはどういうことか。「私、尋ねました。何を笑っているのですか、と」 えんがしゃがみ込み、目線を春海に合わせ、なんだかちょっと淋しそうな笑い方で、「そうしたら関さん、今まで見た問題の中で、一番、好きだな、とおっしゃいました」 そう告げた。春海は馬鹿みたいに口を開いたままでいたが、「好き……? なぜ? どこが?」「御本人にお訊き下さい」 急にむっとなって返された。「合わせる顔が……」 そう言いかけ、えんに睨まれて黙った。足が凍りつきそうなほど冷たかった。自分が小さく無意味な存在になってゆくような気がした。これ以上何も聞かず、ただ消えていなくなってしまいたかった。ところがその思いに決然と反抗する感情がにわかに込み上げ、我ながらびっくりした。そもそも無為無用の存在としてこの塾を訪れたのである。今さら気に病んで何になるのか。何よりたった今えんから聞かされた言葉の全てが気になって仕方ない。自分が出した誤問の何が関を笑わせたのか。知る方法は一つしかない。そのための旅の一年だと思おう。えんが言うように修業し直すのだ。初心に戻り、術を解することうかつなる己を見つめ直そう。 心のどこかで、今泣いたカラスがもう笑う、という言葉がよぎるのを覚えながら、「い……一年だ」一転して奮然と言った。「頼む。一年、待ってくれ」「私がですか?」「うん。必ずもう一度、設問する。必ずだ。この塾に……あそこの壁に貼らせてもらう」「別に、私が待つ必要は、ないではないですか」 えんに真顔で否定されたが、春海は構わず、「頼む、証人になってくれ。お願いだ。頼むよ」 かき口説くように言った。えんは困ったように春海を見ていたが、やがて、「一年ですよ」 渋々といった様子で、「ただし、そのときまで、これはお預かりしておきます」 意地悪そうに、春海が引っぺがして丸めた設問の紙を掲げてみせた。「う……」 呻いたが、こちらも渋々と、「よろしくお願いします」 頭を下げて礼を述べ、勢いよく立ち上がった。すっかり悴《かじか》んでいた膝が変な音を立てた。よろめきながらも真っ直ぐ外へ向かい、ふと振り返って、「ところで……なぜ君は、設問する気がなくなったんだ?」「存じません」 きっとなって返された。「地べたで腹を切るなんて、今度からよそでして下さい」「うん。すまなかった」 真面目にうなずき、「色々ありがとう。では御免」 もう一度だけ頭を下げ、早足で門を出て行った。「一年ですからね。それ以上は待ちませんから」 なおも念を押すえんの背後から、「楽しみな人だ、渋川さんは」 ぬっと村瀬が現れ、えんを跳び上がらせた。「起きていたのですか?」「あれだけ騒がれたら、そりゃ起きもする。きっと邸のみんなに聞こえたな」 そう言って、村瀬はしげしげとえんを見つめ、それから春海が残した足跡を見やった。「お前、あの人のところへ嫁に行くか?」 えんはびっくりした顔で目をしばたたかせた。それから、思いきり噴き出して笑った。「変な冗談ばかりお上手なんですから、村瀬さんは」 村瀬は何も言わず肩をすくめている。 真っ白な雪の上を、春海は身の置き場がないような、力ない様子で進んでいる。見上げた青空がひどく遠く、そればかりか、ぼんやりにじんで見えた。〝勝負がしとうございます 道策の身を切るような声がよみがえった。「私もだ、道策」 白い息を吐き、ぐすっと洟をすすって、「私も、そうなんだ」 泣きながら、冷え切って感覚の薄れた足を、意地のように、前へ前へと運んだ。 その先に、遥かに巨大な勝負が待ち受けているとも知らず、二十二歳の春海は、ただ己自身をもてあましながら、澄み渡った穹天《きゅうてん》の下を、悄然とさまようように歩いていった。[#改ページ]   第三章 北極出地       一 旅の全てが幸福だった。とにかく楽しくて楽しくて仕方なかった。 寛文元年の十二月|朔日《ついたち》。 磯村塾で己のしくじりに打ちのめされた春海は、明け六つの前に旅装をまとい、死出の旅路にでも赴かされるかのような陰気で力のない足取りで会津藩邸を出発している。 実際、このときはまだ亡霊と化してこの世をさまよっているような気分だった。 心にまったく支えがなく、張り切るすべとてない。恥と自責の念に苛《さいな》まれ、目の下に黒々とくまを作り、顔は憔悴《しょうすい》で青ざめている。そのせいで邸《やしき》の門番たちから変に心配された。ときたま身を持ち崩した藩士が、このときの春海のような様子で邸を出て行き、そのまま脱藩して行方が知れなくなることがあるからだ。春海は、自分の口がなんと門番に返事をしているのかもろくに意識がないまま邸を後にし、提灯《ちょうちん》をぶらんぶらん揺らしながら歩いていった。 目的地は永代《えたい》島にある〝深川の八幡様こと富岡《とみおか》八幡宮である。徳川将軍家は源氏の氏神たる八幡大神を崇拝しており、中でも相模《さがみ》発祥のこの神宮は江戸最大の規模を誇る。公務によって長旅に赴く者たちは大抵ここで加護を祈念した。 春海がふらふら境内にやってきたとき、北極出地のために編制された観測隊の大半が既に到着していた。中でも二人の老人たちが、隊の規範たらんとするように神宮の前で微動だにせず直立し、じっと隊員の集合を見守っている。 一方は名を建部昌明《たけべまさあき》といった。この観測隊の隊長を任じられた老人で、齢《よわい》なんと六十二。 徳川将軍家に筆書をもって仕える右筆《ゆうひつ》の家系にあり、れっきとした旗本である。御書道|伝内《でんない》流の祖たる建部伝内を祖父に持ち、その筆蹟《ひっせき》を受け継ぐ一方で、算術および天文暦学に長じているとの評判であった。この観測の全計画を緻密《ちみつ》に組み立て、事業の成否の全責任を負っていた。やや細面の顔は、いかにもしかつめらしく、遅参する者がいれば当たり前のように置き去りにして出発しそうな厳格さを滲ませている。 他方は、名を伊藤|重孝《しげたか》という。隊の副長に任じられ、齢は五十七。 綺麗《きれい》に剃髪《ていはつ》し、なかなか瀟洒《しょうしゃ》な僧形をしている。だが実際のところ僧ではなく御典医だった。毎朝、将軍様が御髪番に髪を結わせている間、袖《そで》の中で脈を取って診察をする医師たちの一人である。中でも伊藤は、将軍様が起床してのち歯を磨くための房楊枝《ふさようじ》と歯磨き粉を用意するというお役目の責任者であるという。将軍様が、毎朝、最初に口に入れるものを用意するのだから、どれほど伊藤が城中で信頼されているかがわかる。医術の他に、算術と占術に優れ、この観測隊に自ら志願したらしい。ふくふくとした血色の良い顔に、この旅を心から楽しみにしているのだという微笑をたたえていた。 二人ともとっくに隠居をしていてもおかしくない年齢である。その二人が、長期にわたり日本の五畿《ごき》七道を巡り歩く観測隊の隊長格として働こうというのだから驚きだった。春海はこの二人の補佐として任命されており、二人が命じる物事はなんであれ記録する役目にあった。 それにしてもおかしな取り合わせだなと、春海は二人に挨拶を述べながら思う。 城に出仕する者の多くが、複数の職務を同時に担当する〝兼任が普通である。とはいえ北極星の観測のために、書道家と医師、それに碁打ちである自分がともに赴くのだから、実にちぐはぐだった。つまりそれほど、江戸に限らず日本全国で、天文の術というものが一つの職分として全く成り立っていない証拠でもあった。 ほどなくして全隊員が揃った。 春海たちの他に、下役たち、棹取《さおとり》と呼ばれる中間《ちゅうげん》たちに、様々な観測道具を運ぶ従者たちがおり、実に総勢十四名の一隊が、ぞろぞろと社殿に移動し、出発の儀式に参加した。 筆頭である建部が、今回のお役目の成就祈願の書、そして金子《きんす》を恭しく奉納した。宮司が隊に加護あることを祈り、また隊員一人一人が、道中の安全と事業成就を祈念して、御神酒《おみき》を頂戴《ちょうだい》している。春海は、今の亡霊気分の自分が御神酒などを飲んだら祓われて消えてなくなってしまうのではないかとけっこう本気で思った。いや、いっそのこと消えてなくなって欲しかった。だが実際に飲み干しても、酒で胃の腑《ふ》がほんのり温まっただけだった。 建部が一同に出発を宣言し、十四名が神宮を出て、雪でぬかるむ道を歩き始めた。 まず東海道を進み、小田原《おだわら》を目指す。幕府の御用飛脚は、三日で江戸から京都までを走り継ぐが、むろん観測隊一行がそんな速度で進みはしない。だがそれでも消耗した春海にはけっこうな速度に感じられた。正直、こんな速さで進むのかと面食らった。 原因は、建部と伊藤の健脚にあった。二人とも普段の移動は駕籠《かご》が基本のはずであるのに、すたすたと年齢をまったく感じさせない足取りで進んでゆく。 駕籠も後ろからついてくるが中は空だった。これは病人怪我人が出た場合、最寄りの宿へ運ぶための用意である。駕籠の後ろには途中途中の道に交代して随伴する医師がいた。一行は規則正しい歩調で進んだ。日に五里から七里を歩き通すことが前提の旅である。 春海もそれはわかっていたし、自分自身も毎年、京都と江戸を往復する身である。それでも心身に気魄《きはく》の欠けた春海には苦役そのものの行進だった。 腰の二刀のうち、太刀は中間の一人に預け、脇差しだけでいられたのがせめてもの救いである。いつしか日が昇り、雪を溶かしていっそう道がぬかるんだ。何度も後ろの駕籠に乗せてくれと懇願したくなったが、そう口にした時点でこのお役目を失ってしまう。何しろ進むためではなく、病人怪我人を戻らせるための駕籠なのだ。しかしだからこそ口にしたい誘惑もあった。 こんなに力の入らない心の状態で、こんなにもしんどいお役目に就かされるとはなんと運がないのか。自暴自棄になって思いきり駄々をこねたい気分で歩き続けた。それでも集団で一糸乱れず進むというのはある種の強制力とともに昂揚《こうよう》をもたらすものである。春海はだんだん何も考えられなくなり、いつしか忘我の心持ちで行進していた。誤問を衆目に晒《さら》し、なおかつ神に献《ささ》げたという痛恨の思いがときおり飛来してはさんざんに胸を突き抉《えぐ》ったが、歩き続けるうちにそれも麻痺《まひ》してくるようだった。昼過ぎに軽食を摂《と》るため、建部からいったんの停止が命じられたときは、このまま延々とどこまでも歩いていたい気分になっていた。 建部と伊藤は口数少なで、食事のときもひと言ふた言かわし、あとは下役に指示を出すだけで、会話らしい会話がない。それが春海には救いだった。頭脳の大半が停止しており、目は茫洋《ぼうよう》と泳ぎ、観測隊の面々とそこらの木々すら区別をしていないような状態では、ろくな会話ができるわけがない。建部と伊藤が互いに紙に何かの数値をしたためているのを見たが、なんの意味があるのだろうとは一切疑問に思わなかった。一行はすぐに出発し、夕暮れどきまで黙々と進み続けた。 暗くなる前に、先行していた下役の者が戻ってきて、宿営地の場所を建部に告げた。それからしばらくして村役人がやって来て、建部と宿営の用意について話し合った。 観測隊が訪れる土地には先触れが出され、幕府の今回の事業を援《たす》けるため、各藩と村々が、昼夜を問わず伝書を書き写して道中の各宿営地へと派遣される。 まがりなりにも幕命を受けての行動であるので、村役人の他、町奉行の者や、藩が派遣した附き廻《まわ》り役もやって来て、ともに宿営地へ随伴した。 そこに到着した春海は、これから戦でも起こるのかと呆気《あっけ》にとられた。宿営地としてふさわしいとみなされるための第一条件は、すぐそばに、天体観測のため見晴らしの良い土地があることである。そして春海が到着したときには既に、その土地の周囲を、藩の幔幕《まんまく》が張り巡らされ、かがり火が焚《た》かれ、藩士が見廻りを行っていた。 これは各藩に公務であることを知らしめるためであり、また基本的に公務は秘するという趣旨によった。その第一の目的は、隊員の安全確保である。夜中の観測が基本であることから、備えを万全にする。確かにこれでは間違っても山賊のたぐいは寄ってこない。 なんだか春海は自分と最も縁遠いはずの軍事の真《ま》っ只中《ただなか》に放り込まれたような心細さに襲われながら、観測の準備を手伝った。 中間たちが距離を測るための間縄《けんなわ》を張り巡らせ、一尺鎖をじゃらじゃら鳴らしながら観測器具の設置場所に見当をつける。また従者たちがそれぞれ特異な道具を携え、準備にあたる。 後世、彎※[#「穴/果」、unicode7AA0]《わんか》羅針と呼ばれることになる、羅針盤を杖の先につけ、あらゆる傾斜面でも正確に方角を測れるよう工夫した道具を複数用いて、方角誤差を修正する。十間ごとに梵天《ぼんてん》と呼ばれる紙切れを何枚もつけた竹竿《たけざお》を目印に立てる。小象限儀という、円を四分の一にした、四半円形の測定具で値を出し、割円対数表という勾配《こうばい》を平面に置き換えるための算術表に照らし合わせ、勾配による誤差を修正する。どれもが、呆然と眠っていたような春海の心をうっすらと刺激した。黙々と集団で行進していたときとはまた違う昂場をかすかに感じた。 その昂揚が急激に盛り上がったのは、二つのきわめて大がかりな木製器具が組み上げられたときだった。村役人たちの手を借りて、まず南北を結ぶ子午線を正確に割り出すための、子午線儀が設置された。二本の木の柱が立てられ、間に正確な角度を保つよう工夫された紐《ひも》が張り渡される。星が南北線にさしかかるときの正中を観測するためだけに、家でも建てるかのような巨大な木材がそびえ立つのである。天測のことなど何も知らず、公務なので手伝っているだけの村役人や藩士たちですら、組み上がったときには、その異様な道具に驚きの声を上げた。 そしてその様子に、春海の中で昂揚が湧いた。出発のときに呑《の》んだ御神酒の何倍も胃の腑が温まり、また熱くなるような感覚だった。 さらに子午線儀によって割り出された線上に、春海の背丈の三倍はあろうかという柱が立った。その柱に、これまた春海が左右に両腕を伸ばしても、とても届かないような、巨大な四半円形をした、大象限儀が設置された。 まさに人が天を測り、星に手を伸ばそうとするための道具としてふさわしい威容だった。 春海が学んできたものよりも遥《はる》かに豊かな算術の結晶である。これに比べれば、春海が会津藩邸でこしらえた日時計など児戯に等しい。星を見ると同時に目盛りを読むため、最小限の灯りを設置する工夫など、夜中観測のためのあらゆる創意が施されていて、春海の目も心も完全に奪った。傍目《はため》には、巨大で無骨で出来損ないの歯車のようにしか見えないその道具が、いかに美しい算術の積み重ねの上に成り立っているかが分かった。思わず設置を手伝うふりをしながら、あちこち撫《な》でたり覗《の》き込んだりするうち、「安井さん、安井算哲さん」 ふいに背後から呼ばれて振り返った。伊藤が子午線儀の下で、建部とともに座って、春海に手招きをしていた。地面には緋《ひ》色の毛氈《もうせん》が敷かれ、火鉢が置かれ、また二人とも手灯《てあか》りを持っている。幔幕にかがり火、異様な道具に緋毛氈、その真っ只中に鎮座する二人の老人の姿に、なんだか異世界の、わくわくするような楽しい場所に住まう仙人を見た気分がした。「は……いかがしましたか」 記録をつけるための符帳を持って早足で近寄ると、厳《いか》めしい顔の建部に紙片を渡された。「我らの後ろに控えておれ。またこれらの値を、天測値と対照し、記帳せよ」「は……」 何だろうと思って紙片を見た。『三十二度十二分二十秒 建部』とあり、また『三十五度十分三十一秒 伊藤』とあった。 北極出地の値であろうとすぐに見当がついたが、いったいいつの間に観測したのか。二人の頭上にある子午線儀に、小型の象限儀でもついているのかと考えたが、そんなものはどこにもない。代わりに二人の傍らに、それぞれ、使い込んだそろばんが置いてあることに気づいた。これから星を観測するというのに、なぜそろばんなのか疑問に思ったが、「早く早く。じきに日が落ちます」 伊藤が、にこにこして急《せ》かすので、二人の後ろに回り、緋毛氈の上に行儀良く正座した。それから今しがた渡された値を記した。 建部と伊藤はあぐらをかいて手灯りを持ち、じっと空を見つめている。「いよいよですな」「いよいよですぞ」 建部がしかつめらしい声で、伊藤が実に嬉《うれ》しげに言った。「まことに長かった」「長かったですなあ」 どうやらこの二人、この事業を成り立たせるためによほどの努力をしたらしい。それが声の調子から伝わってきた。かと思うと、「星だ!」「星だ!」 いきなり二人揃って大声を出し、春海をぎょっとさせた。 確かにうっすら星がまたたいている。そして中天に北極星が見えた。「天測の開始である! 象限儀を整えて読め!」 建部が、びっくりするような大声で告げた。 中間たちが三人、巨大な四半円形の測定器具を念入りに調整し、代わる代わる星を覗いた。 三人がそれぞれ値を見出《みいだ》し、それらが一致せねば測り直しとなる。決して平らではない地面で、巨大な道具を操作し、精密な測定を行おうとするのだから何かと大変な作業だった。

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