「どんな難問も、たちどころに解いてしまわれるからです」 えんが怒ったように注釈した。春海はますます感銘を受けた。「それほど頭脳|明晰《めいせき》たるお方であると……」「いやあ、そんなんじゃない」 村瀬が手を振る。そして、なんだか怖い笑みを浮かべて、こう言った。「化け物だよ」 初めてその男が塾を訪れたのは去年のことだ。最初は壁に貼り出された問題を眺めたり、塾の者たちの問答の応酬を横で聞いたりしているだけだったという。 門下に入りたいのかというと、そうではなく、ただ距離を置いたところから、塾の様子を眺めているという感じだった。だがそのうち、誰かが、あなたも解答に挑んでみたらどうかと勧めた。ここでは自由にそれが許されている。誤謬《ごびゅう》を恐れるなかれ、うんぬん。 その男は、それでは、と筆を持った。いきなり全ての問題に、ただ答えだけを書いた。その場に居合わせた者たちが一人残らず言葉を失うほどの速さだった。あらかじめ答えを知っていて書いているとしか思えない。だが塾の師である磯村が、手本として出題した、誰一人解けぬ難問にすら答えをつけた。 その日の内に、全て正解であることが分かった。塾生全員が言葉を失った。 磯村は不在だったが、代わりに村瀬が、その問題の答えに、『明察』 の二字を記した。 塾に、どよめきが起こった。 それから十日ほどしてまた男が来た。 みんなが固唾《かたず》を呑《の》んだ。村瀬もそれを見た。えんも、男の姿を見ていた。男は、自分がまだ答えていない問題の全てに、さらさらと答えを記していった。設問を読んで、僅かに考え、書く。まるで宙に答えがあって、それを書き写しているかのようだった。 それが終わると、すぐに去った。答えが合っているかどうか確かめようともしない。というより、答えが間違っているとは、まったく思っていない風だった、とえんは言った。 そして事実、全問正解であった。 三度目に男が訪れ、同じように答えを記そうとするのへ、塾の者の一人が、答えばかりではなく問題を出す気はないのかと、半ば挑むように訊いた。すると、男は、「我、遺題を好まず。ただ術の研鑽《けんさん》を求む」 と断ったという。 これに塾の者たちが怒った。〝解答さんという渾名《あだな》には、〝解盗さんという別の意味があって、このときその渾名がつけられた。問題を解くのではなく、答えを盗んでいくといった否定的な見方である。問題を出さない者には、解答を許すべきではない、塾が培った算術をただ盗まれるのはけしからん、という意見が続発した。 おおやけに発表しているのに、解答されて怒るというのも妙だが、それだけ男の行為がみなの理解を超え、また衝撃的だった。村瀬からすれば、そんな諍《いさか》いを放置しては塾の運営がいびつになる。何より男の算術の才能は塾にとって惜しい。門下に入る気がなく、問題を出す気がないとしても、何か、代わりに出せるものはないか、と男に訊いてみた。 男は、稿本ならあると言った。 稿本とは、自己の研鑽の記録をまとめたものである。本の体裁をなしてはいるが、出版物ではない。備忘録の塊のようなものだ。 それで十分だろうと村瀬が言うと、数日後、男は己の稿本の写しを持ってやって来た。 村瀬はそれを一読して愕然《がくぜん》とした。すぐに塾の者に写させ、師の磯村のもとへ手紙をつけて送った。仕事で忙しいはずの磯村からも、すぐさま返事が来た。『解答御免』 と師は言っていた。稿本の内容があまりに素晴らしかったため、その男に、塾の問題を自由に解かせろという師の指示だった。 以来、男は塾において〝解答し放題ということになった。時折、ふらりとやって来ては、歌でも詠むかのようにさらさらと答えを記し、すぐに立ち去る。 その姿に感嘆する者は〝解答さん、歯軋《はぎし》りして悔しがる者は〝解盗さん、それぞれの意味を込めて呼び、いずれも男を特別な存在と看倣して遠巻きに眺めるばかりだった。「で……ここにいる、えんが、ご親切なことに問題つきの絵馬があることを〝解答さんに教えてやったわけだ」「ベ……別に、良いではありませんか。あの方は、いつでも解くべき問題を求めている方なのですから」 途端に後ろめたそうな顔になるえんに、村瀬が笑って、「俺たちの絵馬で男を釣ろうというのもな」「村瀬さんッ」「餌《えさ》だけあっという間に食われて、針しか残らんぞ」「そういう言い方はやめて下さいッ」「あの……その方は、どのようなご身分なのでしょうか?」 春海が遠慮がちに割り込んだ。 えんは教えるものかというような顔をしたが、村瀬があっさり口にした。「関家に養子にもらわれたと言っていたな。甲府《こうふ》に出仕の口を頂いたらしい。どんなお役目を頂戴《ちょうだい》しているかまでは知らんが、何しろまだ若いからな」 甲斐国、甲府徳川家である。ついつい、高度な算術が必要とされる難事業を任せられているのかもしれないと想像した。「それほどの算術を、どなたから学んだのでしょう?」「いや、師はいないらしい。独りで学んだそうだ」「は……? 独り……?」「八算《はっさん》も知らんまま『塵劫記』を読んだとさ」 春海の目がまん丸に見開かれた。八算とは、九九のような基礎の割算のことである。意味が分からなかった。文字を学ばずに本を読んだと言っているのに近い。「しかも、ただ読んだんじゃない。面白くて何度も読んだそうだ。で、すっかり算術が好きになったとさ」「そんな……」 あまりに途方もなさ過ぎて言葉が出なかった。村瀬は、共感するように笑みを浮かべた。「な、化け物だろ、おい。しかもまだ若い。先が恐ろしいよ」「そ……その方の稿本を、お見せ下さい。是非にも。どうかお願い申し上げます」 声を絞り出すようにして頼んだ。頼みながら頭を下げようとしてお膳に顔をぶつけそうになり、慌てて後ろに下がって改めて頭を下げかけたところで、村瀬が立ち上がった。「やれやれ、俺の稿本もあるんだがね」「あの……」「飯も食ったし、俺はそろそろ仕事だ。持って帰りな。写したら返してくれ」 春海が目を輝かせる横で、えんが激昂した。「関さんの本をこの人に貸す気ですか!?」「お前にだって貸したろう。しかも写した方を、俺に返そうとしやがって」「そ……それとこれとは違います!」「わかったわかった。さて、どこへしまったかな」 手を振りながら村瀬は奥へ行ってしまい、残された春海に、えんが燃えるような怒りの目を向けてくる。どうにも沈黙に耐えられず、先ほど村瀬がお膳に書いた名の名残を見て、「ときに……えんさんというのは、どういう字を書くんだい?」 などと余計なことを訊いた。 女性に漢字の名がつけられる方が少ない。日頃、男同士の会話しかほとんどしない春海の生活がもろに出た。「どのような字だと思いますか?」 えんは果敢に訊き返してくる。さすがに、炎だとは言えなかった。「ん、さて……円理の円だろうか」「延べるの延の意だと父から教わりました。お家を延べるということで」 けっこう律儀に答えてくれたが、「ですが私は、お塩の塩が良いと思っています。お金になりますから」 どうも、かなり武家の経済状況に悲観的らしいことを言った。「塩……ですか」 あっという間に話題が尽きて、ただ言われたことを繰り返す春海に、逆にえんが訊いた。「なぜ、あなたは、関さんにそうまで興味を持たれるのです?」 春海は、何を不思議なことを言っているのだろうという気持ちだった。「あなたも興味を持ったのでは?」 これだけとてつもない話を聞けば、誰だってそうだろう、という意味だったが、「私は、別に……」 なぜか、えんはそっぽを向いてしまった。しかもその顔が赤い。春海はますます不思議な気持ちになっている。そこへ村瀬が戻ってきて、「これだ。読んで腰を抜かすなよ」 春海の脇に、紙の束を綴《と》じたものを置いた。「これが、あの方の稿本……」 思わず声が震えた。 そっと紙の束を持ち上げたとき、「あれだけの若さで、こんなものを書くんだからな。たまらんよ」 しみじみと村瀬が言う。ふと疑問が起こった。というより勝手に作り上げた想像のせいで、「……それほど若いのですか?」 ということが改めて意外に思えた。どこかで壮年の士だと思い込んでいたのである。「あんたと同じくらいじゃないかな」 村瀬が言った。一瞬、何を言われたのか分からなかった。「今年で二十二だと言っていたよ、〝解答さんは」 その瞬間、春海の手の中で、稿本がとてつもない重みを生じた気がした。「二十二……?」 同じくらいどころではなかった。まさしく同年齢だった。それこそ真に春海の想像を超えた。まさか。信じがたかった。驚きというより混乱に襲われた。 ここへ辿り着くまでの苦労を、そのとき春海は完全に忘れた。 稿本を持って帰ることが、なぜか、急に恐ろしくなった。 四 だが結局、稿本は大事に持ち帰った。 夕方からの勤めが終わった後、自室の机に置き、薄暗い灯《あかり》りの下で、じっと見つめた。 きくようめいさんぽう『規巨要明算法《きくようめいさんぽう》』 と題された稿本で、『関孝和』 その名が、本人による筆で、書かれている。 かなり分厚い。幾つか異なる主題の稿本を、ひとまとめにしたのだろうと知れた。 最初の一枚をめくるのが怖いような、はやく読みたくてたまらないような、強い感情の矛盾が生じて、微動だにできなかった。 今年で二十二。 その言葉のせいであることは分かっている。春海にとって、かつてない感情だった。 本来のお勤めである碁においてすら抱いたことのない感情である。年下の道策の天才ぶりを目の当たりにしたときも、このような感情は起こらなかった。あるいはどんな感情にも逃げ場があった。ぼんやりとした空白の中に、感情を霧散させてしまえた。 だがこのときは、それが出来なかった。なぜ出来ないのか。考えるともなく考えた。あるいは考えるまでもなく分かっていた。 碁は、春海にとって己の生命ではなかった。過去の棋譜、名勝負をどれだけ見ても悔しさとはほど遠い思いしか抱けない。今の碁打ちたちの勝負にも熱狂が沸かない。 算術だけだった。これほどの感情をもたらすのはそれしかなかった。|飽きない《ヽヽヽヽ》ということは、そういうことなのだ。だから怖かった。あるのは歓《よろこ》びや感動だけではない。きっとその反対の感情にも襲われる。悲痛や憤怒《ふんぬ》さえ抱く。己の足りなさ至らなさを嘆き呪う。達したい境地に届かないことを激しく怨《うら》む。名人たちはそうした思いすら乗り越えて勝つ。それが勝利だった。 自分にそれが出来るだろうか。そう思うことほど怖いことはない。〝退屈な勝負に身を委《ゆだ》ねる方がよっぽど気楽でいられた。と言うより逃げ場はもはやそこにしかなかった。稿本を読まずに返せば良いとすら思った。そうすればこんな怖い思いとは一生、縁がなく生きていける。 だがそうなればきっと、本当の歓びを知らずに死んでゆく。一生が終わる前に、今生きているこの心が死に絶える。そうも思った。 ぱーん、と鋭い音が鳴った。無意識に、稿本に向かって、拍手を打っていた。 何の必然もない、奇妙ともいえる行為だったが、それが幼時から春海の心身に染みついた信仰であり作法だった。心の異変において仏徒の一派が南無|阿弥陀仏《あみだぶつ》を唱えるように、切支丹が思わず手で十字を切るように、この咄嗟のときに、それが出た。 神道はその作法の古伝が失われて久しい宗教である。何のための拍手か、何のための拝礼か、それらの行為によって何が得られるのか、そうした教義がない。だが昨今は、優れた神道家たちにより、神道独特の宇宙観から新たに意味が解釈され、急速に体系化されようとしていた。 左手は火足《ひたり》すなわち陽にして霊。 右手は水極《みぎ》すなわち陰にして身。 拍手とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり火水となる。拍手は身たる右手を下げ、霊たる左手へと打つ。己の根本原理を霊主に定め、身従う。このとき火水は神に通じ、神性開顕《しんしょうかいけん》となって神意が降りる。 手を鋭く打ち鳴らす音は天地|開闢《かいびゃく》の音霊《おとだま》、無に宇宙が生まれる音である。それは天照大御神《あまてらすおおみかみ》の再臨たる天磐戸《あまのいわと》開きの音に通じる。 拍手をもって祈念するとき、そこに天地が開く。そして磐戸が開き、光明が溢《あふ》れ出る。 光明とは、いわば種々に矛盾した心が、一つとなって発する輝きである。その輝きは身分の貴賤《きせん》を問わず、老若男女を問わない。 恐れや迷いを祓《はら》い、真に求めるものを己自身に知らしめ、精神潔白となる。春海は、二度、三度と拍手を打った。伊勢神宮では八度の拍手たる八開手《やひらで》、出雲《いずも》大社では四拍手の作法。だがこのときの春海には三度で足りた。 自分は今、神事の中にあるという昂揚が湧いた。それを勇気にして稿本を開いた。 読んだ。たちまち拍手の光明とは異なる輝きが来た。さながら草原に稲妻の群れを見るような、知性の閃《ひらめ》きの連続だった。強烈な驚きに打たれたが、怖さは感じなかった。薄明かりのせいで咄嗟に字の判別がつかないところがあって、それが怖さを麻痺させてくれた。 とても一夜で読み解けるものではない。それでも、とてつもない素晴らしさが秘められていることだけは分かった。難解な数理算術は多くの場合、特殊な才能を持った者が超人業で解答するものとされていた。大多数の者はそれを理解できない。できないから〝無用の無用などと称されたりもする。だがこの稿本は、違うと告げていた。理は啓蒙《けいもう》が可能なゆえに理である。 その啓蒙の鍵《かぎ》こそ術式だった。術式が本当に完備され、精査されてゆくことで、より多くの者たちが数理を解するようになる。そういう、強い態度表明とも言える言葉が、稿本の一隅に、さらりと書きつけてあった。『理を説くこと高尚なりといえども、術を解することうかつなる者は、すなわち算学の異端なり』 算術を〝学と呼ぶ。それ自体が、この非凡の士の本質のような気がした。 たとえば朱子学において、学は、小学と大学に大きく分けられる。 大学は理念、小学は基礎教育。この稿本は、いわば大学と小学とを結ぶ、堅固たる階梯《かいてい》になろうとしていた。どんな者も小学から大学へと至れるのだと告げていた。特殊な存在でなければ、その道すら辿れないなどとは言っていなかった。「……私でも、良いのですか」 稿本に向かって、ささやくように口にした。 問いながら同時に答えているような、おずおずとした表明の言葉だった。「……私でも」 込み上げる思いで、かえって声が詰まった。代わりにぽたぽた涙が零《こぼれ》れて膝に落ちた。〝退屈ではない勝負が望みか 老中酒井の言葉がふいによみがえり、我知らず、強く拳《こぶし》を握りしめた。 今このときほど、それを望んだことはなかった。これほどまでに自分がそれを望んでいたことにやっと気づいた。 そしてそれが、〝算学という言葉によって、今、己の目の前にあることに気づいた。 洗われてゆくような心の中で、そのとき春海は、はっきりと決心した。 この稿本を読んでのち、問題を作ろう。 そして村瀬に断り、あの磯村塾の一隅に張り出すことを許してもらう。 ただ一人の士に献げ、また挑むためだけに。 渾身《こんしん》の思いをもって独自の術を立ち上げ、それによって、あの関|孝和《ただかず》に出題するのだ。 だがそれもまた簡単にはいかなかった。 村瀬から稿本を貸してもらってから数日後、春海は御城にいた。 お勤めのため、碁を打っている。 相手は老中酒井、相変わらずの意図不明、淡々とした碁であり態度だった。前回、布石を投げ出して切り結んできたことなど忘れたように、ただ定石で盤上を埋め続けてゆく。 春海はこの老中の意図を知ることをとっくに諦《あきら》めている。酒井は定石と定石の間に、独自の発想を持つということを全然しない。より高度な定石を積み上げることに徹底して主眼を置く。つまり最適な状態に達し、時機が来るまで、何一つせず、何一つ明らかにしない。一局がすいすいと異様な速さで進み、石が片づけられ、再び初手から始められたとき、「お主、いろいろと芸を持っているな」 酒井はふいにそう言った。「は……」 芸とは、この場合、城で勤務するための特殊技能を意味する。出仕する者ごとに書類化され、履歴書として管理される。〝芸者とは、上司の求めに応じて、その技能を発揮する者のことで、春海の場合、 一に碁。二に神道。三に朱子学。 四に算術。五に測地。六に暦術。 と書類にある。本来、安井家二代目としては碁だけでいい。これだけずらずら並べ立てるというのも、次男、三男のような態度である。次男や三男は、仕事が、名が、地位が欲しく、さもなくば一生の冷や飯食らいか浪人か、という切迫感に裏打ちされ、ひたすら取り立てられることへの欲求から芸を並べる。 だが春海の場合、ほとんど碁への〝飽きによる悲鳴だった。それが芸種の多さとなってあらわれているのだが、今では、碁以外には算術だけで良いと思っていた。村瀬から渡された関孝和の稿本がそうさせた。だが、「神道は誰から学んだ?」 酒井は、まずその点から訊いてきた。「主に、山崎|闇斎《あんさい》様でございます」「風雲児だな」「は……」 春海は曖昧に返した。 山崎闇斎というのは、かつて僧であり、朱子学を学ぶ儒者であり、そして神道家であるという、かなり変わった履歴の持ち主だった。 最初、比叡《ひえい》山に入って僧となったが、その性格を「激烈」と称されたという。一つ疑問を抱くとそれを十にも百にも増やして問いまくる。そしてこれはと思うと、猛烈な勢いで跳躍する。僧として修行中、朱子学に感動して還俗《げんぞく》したというのが跳躍の一つだった。 また儒者としても、他の儒者たちが、基礎教育である小学をないがしろにする傾向があることについて、「くそマヌケのド阿呆《あほう》の半端学者ども」という感じで批判していた。 風雲児というと聞こえは良いが、どこでも波風を立て、さらに火を放って立ち去るような人物である。その闇斎が神道に傾倒し、京で秘伝の修得に努めている頃、春海は、父の勧めでその教えを受けた。 とにかく剛毅《ごうき》な人で、父が死んだときも、「お前の父は神になった。会いたければいつでも会える」などと言って、異様な形をした墓標を勝手に作り、春海に拝ませたりした。 むろん父は別の墓に葬られている。闇斎なりに、幼い春海の悲しみを気遣ってのことらしい。春海もそれを迷惑と感じたことはなく、気の良い祖父のような相手だと思っていた。「激しい性分のお方ですが、常に勤勉で、理路整然とした方でもあります」 何しろ疑問が解消されるまでひたすら猛勉強を繰り返すのである。闇斎の一生は、三人分とさえ言われた。仏教、朱子学、神道、三人分である。「でなくては、会津公のお相手はできんな」 独り言のような酒井の言葉だった。「会津肥後守様の……ですか?」「招くらしいな」 春海も知らないことであったので素直に驚いた。しかし保科正之は、会津藩邸を見れば分かる通り、熱心な神道の信仰者である。と同時に朱子学を偉大な学問とし、その普及に努めていた。まさに闇斎は、保科正之が学者として召し抱えるのにうってつけの人物だった。「それは、存じませんでした」 だが酒井はその話題はもう忘れたように、「測地も得意か」 と訊いてきた。測量実地のことである。 特に田畑の面積算出は、年貢の根拠ともなり、これを徹底して行うことが、領地を与えられた者の役目でもある。「はい」 安井家も、一応は、領地として郡や郷を与えられていた家である。また測地は、最も高度な算術が要求されるものの一つだ、というようなことを答えようとしたが、「暦術も得意か」 さらに次の話題に移られた。「はい」「藩邸の庭に日時計を造ったとか」 そんなことまで知っているのかと今さらながら驚き、また呆《あき》れた。いったいこの自分の何が、この老中の興味を惹《ひ》いているのか。考えたところで、さっぱり分からない。「そろばんで蝕《しょく》がいつ起こるか分かるか?」「は……」 日蝕あるいは月蝕の正確な算出は、どんな算術家も一度は試みることでもある。だがそれは測地よりもさらに高度な算術が要求され、そうそう的中させられる者はいない。「地を測るよりも、天を測ることの方がより困難ですが、おおよそは」「今、我らが知るものより、もっと正確には測れぬのか?」「は……。古今東西の暦術を検討し、今の算術によって照らせば、より正確に測れます」 だがそれは大事業だった。一年や二年ではとても済まない。それが酒井にも分かったらしい。あるいは分かっていて質問したのかも知れない。だが、「そもそも……なぜ日や月が欠ける?」 酒井が、ふと本心から不思議がっているような訊き方をした。演技ではなさそうだった。だいたいが演技をする人物ではない。演技は感情の吐露である。ぽっかり感情が欠けたような態度の酒井に、そういうものはない。「日の運行と、月の運行が、天の一点において重なるゆえでございます」 と春海は答えた。その現象は多くの暦術家、算術家などが解明に努めている。また同じこのとき、ヨーロッパではコペルニクスが没して百年余が経ち、ガリレオが地動説を唱え、教会から禁じられながらもその正しさが認識されていた。さらにはニュートンらによって万有引力の法則が解明されんとしており、新たな宇宙観の萌芽《ほうが》となっている。中国(清国)でも地動説に疑問の余地はなく、当然、日本でも天文観測に特に長けた一部の者たちにとっては常識だった。この地球が宇宙に浮かぶ一個の球体であり、それより遥かに巨大な太陽の周囲を、他の惑星とともに公転運動している。同じように、月などの衛星も地球の周囲を公転しており、様々な天文現象をもたらす。 春海も、だいぶ後になってのことだが、日蝕について、『日蝕なるものは月、日光を掩《おお》うなり。朔日《さくじつ》に、日と月、遭遇し、南北経を同じくし、東西経を同じくすれば、月、黄道に至るとき、日の下にありて日光を遮掩《しゃえん》し、人、日輪を見る能《あた》わず。日蝕と謂うなり』 と記しているが、このときも似たような説明を、酒井に対してしている。 酒井は、ますます不思議そうだった。天文のはたらきについては、昨今の一般常識に加えて、暦術を学んだ仏僧などから聞いて知っているのだろう。だが地上に生きる者の感覚としては、「日の甚大な灼熱《しゃくねつ》で、なぜ月が燃えない? 日と月はそれほど離れているのか?」 そうした天体の規模が、なかなか想像できないのだ。 地、日、月の距離算出は、暦術家より算術家たちが繰り返し挑む問題だった。明快な答えはまだなく、人や書によって食い違うが、「は……おおよそ、日と地の距離、三十万里。月と地の距離、七万里。その差、二十三万里ほどとなり、ゆえに、日の炎熱は、月には届かぬかと存じます」 春海は、幾つかの書から学び、日頃、自分なりにこうではないかと想像する、だいたいの距離を告げた。 僅かに酒井の目が見開かれた。この人でも驚くことがあるのか、と春海の方が驚いた。「遠い……。人が触れようとするだけで、生涯かかるか。人が宙を進めるならばだが……」 だが酒井なりに脳裏で計算したらしく、すぐにかぶりを振って、「いや……生涯ですら、足りそうもない」 そう呟いて、宙を見つめて沈黙した。「は……」 春海も相づちを打ったまま黙った。碁はほったらかしである。だが春海は落ち着いている。酒井が何の目的で質問してきたのかはどうでも良くなっていた。ただ、〝生涯かかるか という言葉が、奇妙に快く胸に響いた。関孝和に出題すべき問題の漠然とした思案が湧いた。ふと天文暦術をもとに問題を作るのも良いかもしれないと思った。「お主、北極出地は知っているな」 ふいに酒井が言った。質問というより断定に近い。これまでの態度とは明らかに違った。少しずつ進んできた何かが、ようやくどこかに到達したような響きがあった。「測地の術の一つと存じます。南北の経糸《たていと》、東西の緯糸《よこいと》をもって地理を定めるとき、おのおのの土地の緯度は、その土地にて見える北極星の高さに等しいのです。ゆえに緯度とその計測を北極出地と称します。距離算出、方角確定の術となります」 ただ知っている、というのではなく、あえて細説してみせた。「星は好みか?」「日、月と同じく好んでおります」「北極星を見て参れ」 にわかに来た。まさに下命だった。緯度を計測し、地図の根拠となる数値を出してこいというのである。 春海は碁盤から退き、謹んで伏して訊いた。「は……どちらの北極星でございましょう?」「山陰、山陽、北、南、東、西、いずれの土地も通行に支障なく致す」 何でもないことのように酒井は言う。だが春海は伏したまま愕然とした。下手をすれば日本中である。明らかに一人の仕事ではない。おそらく既に北極出地のための人選は完了し、そこに春海が組み込まれたのである。 いったいどれだけの長旅になるのか。 いや、その前に、いつから始まるのか。「御城碁を終えたら行け。南と西から始めよ。雪が消え次第、北へ行け」 もう少しで呻《うめ》きそうになった。必死に堪《こら》えた。畳につけた手のひらが僅かに震えた。「で……では、半月余ののちには発てと仰せでございましょうか……」「何か差し障りがあるのか?」「いえ……」 その一瞬で強烈な決心が湧いた。手の震えがぴたりと収まった。脳裏に、稿本を前にして自ら打った拍手の音が高らかに響いた。「不肖ながら鋭意尽力し、お役目を全うする所存にございます」 言いながら、その心はもはや完全に、酒井にもその命令にも向けられていない。 あと十日。いや、解答をこの目で見てから発ちたい。ならば七日。それだけで構築する。 あの関孝和に対する設問を。己の力量の限りを尽くして挑んでみせるのだ。 誰に約束したのでもない。誰から誉め称《たた》えられるというわけでもない。 だが、退屈とはほど遠い。〝渋川春海が見出《みいだ》した、己だけの、そして全身全霊をかけての勝負が、この瞬間に始まっていた。 五 下城して会津藩藩邸に戻り、春海はただちに準備にかかった。 設問の準備ではなく、まずそのための時間を捻出《ねんしゅつ》せねばならない。碁打ちとしての公務と、酒井から任ぜられたものと、いきなり仕事が二つに増え、しかも両方とも期限が差し迫っている。そこで最もたやすく一方の仕事を片づける方法を選んだ。 自室に入るなり着替えもせず、大急ぎで、会津にいる義兄の算知に宛てて手紙を書いた。 内容は、老中より公務を与えられたこと、そのため安井家の棋譜を上覧碁で用いることを許して欲しいというものである。その棋譜が亡き父の算哲が遺《のこ》した、初手〝右辺星下の棋譜であること、相手は本因坊家であることなどを、ほぼ事後承諾であることを詫びつつ書き綴った。 算哲の遺した棋譜であれば本因坊家も文句は言わない。道策への詫びにもなる。約束してしまった碁会への出席が、酒井に与えられた公務のため叶《かな》わなくなったとしても、右辺星下の棋譜の提出が帳消しにしてくれる。何より、上覧碁の打合せで奪われる時間が大幅になくなる。 旅立ちの準備自体は、大した仕事ではない。毎年、京と江戸を往復している春海にとって旅支度は慣れたものである。それ以上に時間を取られるのは、既に編制されている北極出地の観測隊の面々に、挨拶《あいさつ》をして回らねばならないことだった。これもまずは手紙を書くことから始めた。観測隊の中心人物たちの名は酒井から聞いていたし、彼らの住居も知っていた。七通ほど書き、そのうち最も重要な二人にだけ会って挨拶をすることにした。それ以外は、参加が急であるため十分に挨拶ができないことを文中で丁寧に詫びた。 書き終わるとすぐ藩邸の者に頼み、連絡役に全ての手紙を託した。 それから安藤への取り次ぎを願った。藩邸の勘定方として忙しく働く安藤である。待たされることを覚悟し、じっと控えの部屋の壁を見据え、組み立てるべき算術に没頭した。安藤は、春海が予想したよりもずっと早く来てくれて、「どうかしましたか、渋川殿」 真剣な顔で壁とにらめっこをする春海の様子に、同じように真剣な顔つきになった。「実は……」 と事の次第を話すと、安藤は目をみはった。「……老中様から直々のご下命ですか」 そう呟いて安藤は考え込むように腕組みし、「おそらく……星を見る以上の、もっと大きな務めがあるのでしょう」「はい」 春海も、口もとを引き締めうなずいている。 北極出地も大がかりな公務ではあるが、それ自体が重要な意味を持つとは思えない。幕府にとって日本全土の地図の作製は、まだまだ軍事や年貢の取り立てのためである。ということは諸藩の裁可に任せるべきものだった。幕府が自ら行うものではないのである。 おそらくより大きな〝何かのため、各地の緯度の測定が必要となったのだろう、とは春海も予想していたことである。北極出地による測定をもとに、酒井は、あるいは幕閣は〝何かをしようとしている。数年がかりで、その〝何かにふさわしい人材を選出しようとしているのではないか。となると北極出地は公務であると同時に、人材の吟味の場ともなる。 吟味を行おうとしている上司に、何のための吟味か尋ねたところで教えてくれるわけがない。 特にあの酒井が内心を少しでも明らかにしてくれるとは思えなかった。唯々諾々、粛々と公務を全うすることだけが、その回答への道だった。「大役おめでとうございます。無事、完遂されることを祈願したいと思います」 安藤は力強い笑みで律儀に祝い、また激励してくれた。「はい」 春海は頭を下げ、「実は、安藤殿には申し訳ないのですが、お役目の前に、ぜひにも果たしたいことがあります」 詫びの気持ちを込めて言った。「果たしたいこと……? 私に申し訳ないとは?」 首を傾げる安藤に、春海は、思いのたけをぶちまけるようにして関孝和への出題の意志を告げた。春海にしてみれば老中からの命令よりもそちらの方がよっぽど重大だった。また北極出地の観測隊の面々に挨拶に回ることよりも、約束が守れなくなったことを安藤に詫びる方が大切だった。関孝和を碁会に招き、安藤とも交流を持ってもらうという約束のことである。 ひとしきり春海の算術への思い、関孝和の稿本を読んだときの感動を聞いていた安藤は、大きくうなずいた。「なるほど、そういうことですか」「はい。出発まで日がなく……」 半ば言い訳であるという後ろめたさが声ににじんだ。これから全力で挑もうとする相手を、今このとき、碁という己にとっての〝飽きの場に招くことはしたくないのが本音だった。「気にしてはいけません」 果たして安藤は、春海の内心をきちんと察したように、「男子が全霊をもって挑むのですから。下手に相手と親しくなってしまっては、勝負の緊迫が薄れるでしょう。私のことは考えないようにして下さい」 相変わらず会津訛りを無理やり江戸口調に直したような調子で、誠意の塊のようなことを言ってくれた。 何より、安藤が〝勝負として認めてくれたことが嬉しかった。「かたじけなく思います、安藤殿」 しっかりと礼をし、またせめてもの詫びに、関孝和の稿本の写本を一揃い作って渡すことを約束し、退室した。 自室に戻る途中、庭に出て、日時計に向かった。既に日が暮れて影を測ることは不可能だったが構わなかった。その柱を立てて以来、初めて、春海は神の加護を願い、拍手を打って礼拝した。脳裏をぐるぐる巡る算術の思案のうち、どれかに己だけの設問を立てる契機が秘められているのだと固く信じて疑わなかった。 翌日、碁会に出席するため、春海は日吉山王《ひえさんのう》大権現社を訪れている。 日吉山王は、桜田御門を出て大名邸が密集する地域を通り、虎之御門と赤坂御門の間の溜池《ためいけ》沿いにある。周囲には常明院や宝蔵院など十を超す院が並んでいる。江戸城鎮護のため勧進された神社であり、将軍家の産土《うぶすな》神である。毎年六月の祭礼行列は壮麗をきわめ、神田明神の祭礼と隔年で、御城に入り将軍様へ上覧に供することが許されていたほどだった。 その大社で行われた碁会のための控え部屋で、「つい先日、各地の星を見よ、とのお役目を老中様より頂戴いたしました」 春海は、そう報告をした。 当然ながら碁打ち衆の誰も意味がわからない。道策など、ぽかんと口を開けたまま固まるという、滅多に見せぬ顔になっている。「各地というのは……土地によって異なる星が見えるということですか?」 と不審そうに訊いたのは、道策の師である本因坊道悦だった。小柄な体躯に僧形という、近所の寺院の主《あるじ》のような姿で、その衣の一部に星図が刺繍《ししゅう》されている。衣服に星辰の紋様をまとっていても、星の知識はないというのが春海には妙におかしかった。「いえ……天に不動たる北極星を、各地で観測し、その土地の緯度を判明させます」 そう説明しても道悦を始め、林家、井上家の碁打ち衆もみな不思議そうな表情のままだ。「天の星をもって、地を測るとおっしゃる……」 道悦が感心したように呟くが、具体的に何がどうなってそのようなことが可能であるのか、皆目わからないという調子である。 地動説をはじめとする天体運動については一般的な常識になりつつあっても、ではその知識が、地上の生活においてどんな役に立つのか、という点では、多くの者がまるで不明だった。 農民であれば播種《はしゅ》収穫の時期、漁師であれば海上での船の位置、猟師であれば天候を星の見え方から読む。だがそれらはいずれも学問として成り立っておらず、もっぱら宗教の領分でしか体系化されていない。人に世の広大さや無常さを実感させるための説法である。さもなくば神道家や陰陽師《おんみょうじ》が行う占いの吉凶の根拠であり、多くは門外不出の秘事とされた。 よって、暦術家や算術家はいても、天文家はまだいない。職業以前に、究めるべき術自体が、まだまだ曖昧|模糊《もこ》として、世に普及されていないのである。そのため天地の測定の方法などをこの場で説明しても意味がなく、春海はさっさと要点を切り出した。「はい。それゆえ来年の御城碁への出席が叶わなくなるでしょう」「来年?」 道悦がびっくりした。みなぎょっとなっている。まさかそれほどの長旅とは誰も思わなかったのである。なんだかわからないが大変な勤めらしい。だが、いったいなぜ碁打ちがそんな仕事を任されるのか。急に帯刀を命じられたことといい、安井家の二代目にはおかしなことばかり起こる。みな口には出さないが、顔がそう言っていた。「さ……算哲様ッ」 ようやく事態を理解した道策が、きっとなって喚《わめ》いた。京の碁会に出席するという約束はどうなるのか。碁打ちが星とはどういうことか。色んな怒りが声にこもっていたが、「道策、静かに」 道悦に窘《たしな》められ、道策は顔をしかめて黙りつつ、きつく春海を睨んでいる。 春海はちょっと首をすくめ、「御城碁ののち出立いたしますゆえ、上覧碁の準備に時間がなく、代わりに安井家の棋譜を持参いたしました。なにとぞご容赦いただきたく……」 棋譜を記した紙を道悦へ差し出した。 その一手目を見た道悦、道策が、同じく目をみはった。「この棋譜を上覧碁に用いるのですか?」 道悦が測るように訊いた。道悦も亡き師である算悦を通して、初手〝右辺星下について聞いていたらしい。棋譜は、勝負を行った者のどちらかが秘蔵とする権利を持つ。その秘蔵たる安井家の棋譜を、平然と公衆の前に晒《さら》す春海に対し、道悦は感心するというよりも呆れたような様子でいる。 だが春海はきっぱりとうなずき、「はい。大切なお勤めに欠席せざるを得ず、代わりに私が出せるものの中で最良と思われるものを選ばせていただきました」 春海の目は道悦へ向けられているが、言葉の大半は、そばにいる道策へ向けられていた。それが道策にもわかったらしく、急に脱力したように下を向いてしまった。「わかりました。謹んでお受けしましょう」 道悦が言った。春海は大いに安堵《あんど》した。明らかに碁打ち衆の職分を逸脱する春海の務めについて、他の碁打ちたちから疑問や反対意見が出る前に、本因坊家が率先して了承してくれたのである。またそうさせるため、秘蔵の棋譜まで持ち出したのだ。これで、北極出地に関しての、碁打ち衆への報告はほぼ終わった。 間近に迫った御城碁についての簡単な話し合いが行われた後、「ところで、若い打ち手の中には、御城碁における真剣勝負を欲する者もおりますが」 ふいに道悦がそんなことを言った。一瞬、春海は自分が酒井に告げた、〝退屈です という言葉が、道悦に伝わったのかと内心ひやりとした。「しかし上覧碁こそ御城碁の本随と心得ます。将軍様御前で勝負を行うことの是非については、我々碁打ち衆の間でも、たびたび話し合われたこと。将軍様が今より碁に精《くわ》しくおなりになり、直接の勝負がご覧になりたいと仰せになるのでない限り、我々から御前で勝負を行いたいと申し上げるのは、特別な理由がない限りは慎むべきことでしょう」 うんぬん、と道悦が言葉を続けるほどに、そばの道策がうつむけた顔を悔しげに右へ左へ振る様子に、(道策か) どうやら師に、〝真剣勝負を訴えたのだということが知れた。 なんだか急に道策が哀れに思えた。なのにその上、道悦は、「その点、安井家は、自ら秘蔵の棋譜を上覧碁に献ずるなど、御城碁の何たるかを、よくご理解されておられる」 わざわざ春海を誉めたりする。それでむしろ、道策が、春海を名指しで挑戦しようとしたのを道悦が厳しく戒めたらしい、という道悦の言葉の裏側まで察することができた。 御城碁の何たるかを良く理解しているからこそ〝飽きが骨髄にまで染みた春海としては、いやに後ろめたさを刺激された。道策の気持ちがよくわかる分、やるせない思いが、ひしひしと胃の腑《ふ》に降り積もるようだった。 道悦の、〝上覧碁こそ碁打ちの栄えの礎という、要するに現状を維持し続けるべし、という訓戒めいた言葉ののち、おのおのの勤めのため席を離れた。道悦は日吉山王の宮司らとの碁会へ向かい、春海は道策とともに上覧碁の打合せのため別室へ移った。 道策自身が上覧碁を打つのではなく、師の道悦の代わりに、手順を確認するためである。それはそれで重要な仕事であり、いかに道悦が道策を信頼しているかかわかるというものだ。しかし道策本人には、いまだ上覧碁すら打つ資格がなかった。活躍の場は皆無だった。 道策はひと言も口を利かず、部屋に移っても、春海とともに、神社の者が用意してくれた火鉢で黙って手を温《ぬく》めていたが、ふいに、「安井家秘蔵の棋譜とはつゆ知らず、算哲様には、大変失礼を申し上げました」 むっつりと低い声で道策が言った。日頃、灼然と輝くばかりの才気の持ち主であるだけに、その様子がいっそう哀れを誘った。「いいんだよ。義兄も、相手がお前なら許すに決まってる」 うっかり励ますことも慰めることもできず、春海は、「お前は、碁の申し子だ」 ただ優しくそう言った。 道策は、それには応《こた》えず、哀しそうに眼を細めて火鉢の炭を見つめている。と思うと、「……北極星というのは、それほど重要な星なのですか」 硬い声で訊いてきた。「うん」 春海は部屋の碁盤に手を伸ばし、碁盤における九つの星のうち、中央の〝天元《てんげん》を指さして言った。「北極星は、いわば天元だ。天でただ一つの不動の星で、人が星を読む上で、最も大きな手掛かりになる。別名を北辰《ほくしん》大帝。天帝化現たる星で、〝天皇陛下とは、本来、この星に仕え、天意を賜り、地の民に告げることを意味する言葉だ」「不動の、天元の星……」 道策がぼんやりと繰り返す。春海は、後ろめたさが自分を饒舌《じょうぜつ》にしていることを自覚したが、続けて言った。「算盤による数理の中でも、未知の値を求める最も重要な術を、天元術というんだ。元《げん》の世の算術らしい。つい何年か前に知られるようになったばかりでね。もしかすると碁の天元と何か関わりがあるかもしれないね。天の〝元《はじめ》を知って解明しようというのは、なかなか含蓄のある言葉だと思わないか……」「数理は数理。碁の打ち筋とは無縁でございましょう」 怒ったように道策が遮り、「つまり、この星のせいで、算哲様はますます碁から離れるということですか」「うん、まあ……」 あまりにその通りなので、なんとも返しようがない。 道策は、やたらと本気の顔で、「この星が、憎うございます」 じっと〝天元に目を据えたまま、そんなことまで言った。刀の切っ先のような怖い思いをさせられる目だ。碁の勤めから逃げ出す春海を怨む言葉にも聞こえ、春海はちょっと途方に暮れた。目の前に、溢れる才気を持ちながら自由に羽ばたくことを禁じられた十七歳の若者がいて、苦しみにもがいている。哀れで仕方なかったが、春海にはどうすることもできない。「道策は、上覧碁が嫌いかい?」 せめて苦しみを和らげてやりたくて、そう訊いた。果たして道策は両肩を震わせて、「大嫌いです」 今にも泣きだしそうな声で言い放った。「研鑽をひたすらに積んで、将来なすべきことがあれかと思うと、情けのうございます」 師に聞かれれば烈火の如く叱責《しっせき》される物言いである。だが、自分もそうだ、と春海が共感してやろうとする前に、「算哲様は、碁がお嫌いですか?」 いきなり真っ直ぐな目を向けられた。「好きさ」 思わず微笑んだ。我ながら、けろっとした態度だった。実際、碁自体を嫌う気持ちは抱いたことがない。数理算術が碁にも通じているのだという思いも嘘ではなかった。碁の世界は広い。ただ城の中は、それよりも遥かに狭かった。「でしたら、なぜ……」 星などにうつつを抜かすのか、と言いたかったのだろうが、言いかけて道策はまたうつむいた。他ならぬ四老中の一人からの直々の下命などが降って湧いたからには、おいそれと否定もできない。かえって余計に道策を苦しめてしまったような気持ちになった。「勝負がしとうございます」 振り絞るような声が、ぐすっと洟《はな》をすする音とともに部屋に響いた。「できるさ」 間髪を容れずにそう言ってやった。「道悦様、私の義兄の算知の次は、お前と私だ。六番勝負だろうと六十番勝負だろうと、存分に将軍様にご覧になっていただこう」「六十……?」 あまりに途方もない数に、道策が顔を上げ、にわかに噴き出した。「何がおかしい?」 春海はあえて真面目くさった調子でいる。道策の笑いがどんどん大きくなっていった。泣いたカラスがもう笑う、と頭のどこかで思いながら、春海はほっとなった。ほっとなりながら、こんな単純な言葉ですら、たちまち感情が噴き出す道策の日頃の苦しみを察して、ますます可哀想になった。「六番勝負でさえ、八年かかったのですよ、いったい何年かかれば六十番など……」 腹を抱えながら道策が言う。「お互い、何十番目の勝負か忘れぬようにしないとな」「将軍様も、いちいち覚えておいでにならないでしょう」 それでまた道策が大笑いした。将軍家ゆかりの大社で哄笑《こうしょう》など御法度も良いところで、いつ誰が叱りに来るかわからなかったが、いつしか春海も一緒になって笑ってしまった。 ひとしきり笑いの発作が収まったところで、「では、その日のために研鑽を積もう」 改めて棋譜と石を手に取った。道策もくすくす笑いながら倣った。「安井家の棋譜に対し、憚りながら申し上げますが……」