草枕 夏目漱石-3

「ホホホホそうですか。あれは私(わたく)しの従弟(いとこ)ですが、今度戦地へ行くので、暇乞(いとまごい)に来たのです」「ここに留(とま)って、いるんですか」「いいえ、兄の家(うち)におります」「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」「御茶より御白湯(おゆ)の方が好(すき)なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺(しびれ)が切れて困ったでしょう。私がおれば中途から帰してやったんですが……」「あなたはどこへいらしったんです。和尚(おしょう)が聞いていましたぜ、また一人(ひとり)散歩かって」「ええ鏡の池の方を廻って来ました」「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」「行って御覧なさい」「画(え)にかくに好い所ですか」「身を投げるに好い所です」「身はまだなかなか投げないつもりです」「私は近々(きんきん)投げるかも知れません」 余りに女としては思い切った冗談(じょうだん)だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」「え?」「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧(かえり)みてにこりと笑った。茫然(ぼうぜん)たる事多時(たじ)。十 鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股(ふたまた)に岐(わか)れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁(ふち)には熊笹(くまざさ)が多い。ある所は、左右から生(お)い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形(かた)ちで、ところどころに岩が自然のまま水際(みずぎわ)に横(よこた)わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連(つら)ねている。 池をめぐりては雑木(ぞうき)が多い。何百本あるか勘定(かんじょう)がし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝の繁(こ)まない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌(も)え出でた下草(したぐさ)さえある。壺菫(つぼすみれ)の淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。 日本の菫は眠っている感じである。「天来(てんらい)の奇想のように」、と形容した西人(せいじん)の句はとうていあてはまるまい。こう思う途端(とたん)に余の足はとまった。足がとまれば、厭(いや)になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民(たみ)を乞食(こじき)と間違えて、掏摸(すり)の親分たる探偵(たんてい)に高い月俸を払う所である。 余は草を茵(しとね)に太平の尻をそろりと卸(おろ)した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣(きづかい)はない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦(ようしゃ)も未練(みれん)もない代りには、人に因(よ)って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎(いわさき)や三井(みつい)を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今(ここん)帝王の権威を風馬牛(ふうばぎゅう)し得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観(びょうどうかん)を無辺際(むへんさい)に樹立している。天下の羣小(ぐんしょう)を麾(さしまね)いで、いたずらにタイモンの憤(いきどお)りを招くよりは、蘭(らん)を九(えん)に滋(ま)き、(けい)を百畦(けい)に樹(う)えて、独(ひと)りその裏(うち)に起臥(きが)する方が遥かに得策である。余は公平と云い無私(むし)と云う。さほど大事(だいじ)なものならば、日に千人の小賊(しょうぞく)を戮(りく)して、満圃(まんぽ)の草花を彼らの屍(しかばね)に培養(つちか)うがよかろう。 何だか考(かんがえ)が理(り)に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想(かんそう)を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。袂(たもと)から煙草(たばこ)を出して、寸燐(マッチ)をシュッと擦(す)る。手応(てごたえ)はあったが火は見えない。敷島(しきしま)のさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐(マッチ)は短かい草のなかで、しばらく雨竜(あまりょう)のような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅(じゃくめつ)した。席をずらせてだんだん水際(みずぎわ)まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸(ひた)せば生温(なまぬる)い水につくかも知れぬと云う間際(まぎわ)で、とまる。水を覗(のぞ)いて見る。 眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草(みずぐさ)が、往生(おうじょう)して沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄(すすき)なら靡(なび)く事を知っている。藻(も)の草ならば誘(さそ)う波の情(なさ)けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調(ととの)えて、朝な夕なに、弄(なぶ)らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代(いくよ)の思(おもい)を茎(くき)の先に籠(こ)めながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。 余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳(くどく)になると思ったから、眼の先へ、一つ抛(ほう)り込んでやる。ぶくぶくと泡(あわ)が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎(みくき)ほどの長い髪が、慵(ものうげ)に揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。 今度は思い切って、懸命に真中(まんなか)へなげる。ぽかんと幽(かす)かに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛(な)げる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。 二間余りを爪先上(つまさきあ)がりに登る。頭の上には大きな樹(き)がかぶさって、身体(からだ)が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿(つばき)が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向(ひなた)で見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角(いわかど)を、奥へ二三間遠退(とおの)いて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑(しんかん)として、かたまっている。その花が! 一日勘定(かんじょう)しても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほど鮮(あざや)かである。ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪(と)られた、後(あと)は何だか凄(すご)くなる。あれほど人を欺(だま)す花はない。余は深山椿(みやまつばき)を見るたびにいつでも妖女(ようじょ)の姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然(えんぜん)たる毒を血管に吹く。欺(あざむ)かれたと悟(さと)った頃はすでに遅い。向う側の椿が眼に入(い)った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。眼を醒(さま)すほどの派出(はで)やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。悄然(しょうぜん)として萎(しお)れる雨中(うちゅう)の梨花(りか)には、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶(えん)なる月下(げっか)の海棠(かいどう)には、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味(み)を帯びた調子である。この調子を底に持って、上部(うわべ)はどこまでも派出に装(よそお)っている。しかも人に媚(こ)ぶる態(さま)もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜(せいそう)を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼(ひとめ)見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際(こんりんざい)、免(のが)るる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。屠(ほふ)られたる囚人(しゅうじん)の血が、自(おの)ずから人の眼を惹(ひ)いて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。 見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩(くず)れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練(みれん)のないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺(あたり)は今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々(ねんねん)落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶(と)け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間(ま)に、落ちた椿のために、埋(うず)もれて、元の平地(ひらち)に戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂(ひとだま)のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。 こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑(の)んで、ぼんやり考え込む。温泉場(ゆば)の御那美(おなみ)さんが昨日(きのう)冗談(じょうだん)に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪(おおなみ)にのる一枚の板子(いたご)のように揺れる。あの顔を種(たね)にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長(とこしな)えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画(え)でかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に背(そむ)いても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打(う)ち壊(こ)わしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層(いっそ)ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思(おもわ)しくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾(われ)ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易(か)える訳に行かない。あれに嫉(しっと)を加えたら、どうだろう。嫉では不安の感が多過ぎる。憎悪(ぞうお)はどうだろう。憎悪は烈(は)げし過ぎる。怒(いかり)? 怒では全然調和を破る。恨(うらみ)? 恨でも春恨(しゅんこん)とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒(じょうしょ)のうちで、憐(あわ)れと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情(じょう)で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟(とっさ)の衝動で、この情があの女の眉宇(びう)にひらめいた瞬時に、わが画(え)は成就(じょうじゅ)するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑(うすわらい)と、勝とう、勝とうと焦(あせ)る八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。 がさりがさりと足音がする。胸裏(きょうり)の図案は三分(ぶ)二で崩(くず)れた。見ると、筒袖(つつそで)を着た男が、背(せ)へ薪(まき)を載(の)せて、熊笹(くまざさ)のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。「よい御天気で」と手拭(てぬぐい)をとって挨拶(あいさつ)する。腰を屈(かが)める途端(とたん)に、三尺帯に落(おと)した鉈(なた)の刃(は)がぴかりと光った。四十恰好(がっこう)の逞(たくま)しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々(なれなれ)しい。「旦那(だんな)も画を御描(おか)きなさるか」余の絵の具箱は開(あ)けてあった。「ああ。この池でも画(か)こうと思って来て見たが、淋(さみ)しい所だね。誰も通らない」「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠(とうげ)で御降(おふ)られなさって、さぞ御困りでござんしたろ」「え? うん御前(おまえ)はあの時の馬子(まご)さんだね」「はあい。こうやって薪(たきぎ)を切っては城下(じょうか)へ持って出ます」と源兵衛は荷を卸(おろ)して、その上へ腰をかける。煙草入(たばこいれ)を出す。古いものだ。紙だか革(かわ)だか分らない。余は寸燐(マッチ)を借(か)してやる。「あんな所を毎日越すなあ大変だね」「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日(みっか)に一返(ぺん)、ことによると四日目(よっかめ)くらいになります」「四日に一返(ぺん)でも御免だ」「アハハハハ。馬が不憫(ふびん)ですから四日目くらいにして置きます」「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」「それほどでもないんで……」「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」「昔からありますよ」「昔から? どのくらい昔から?」「なんでもよっぽど古い昔から」「よっぽど古い昔しからか。なるほど」「なんでも昔し、志保田(しほだ)の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」「志保田って、あの温泉場(ゆば)のかい」「はあい」「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」「うん」「すると、ある日、一人(ひとり)の梵論字(ぼろんじ)が来て……」「梵論字と云うと虚無僧(こもそう)の事かい」「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋(しょうや)へ逗留(とうりゅう)しているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染(みそ)めて――因果(いんが)と申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」「泣きました。ふうん」「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟(むこ)にはならんと云うて。とうとう追い出しました」「その虚無僧(こもそう)[#ルビの「こもそう」は底本では「こむそう」]をかい」「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」「まことに怪(け)しからん事でござんす」「何代くらい前の事かい。それは」「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」「何だい」「あの志保田の家には、代々(だいだい)気狂(きちがい)が出来ます」「へええ」「全く祟(たた)りでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃(はや)します」「ハハハハそんな事はなかろう」「ござんせんかな。しかしあの御袋様(おふくろさま)がやはり少し変でな」「うちにいるのかい」「いいえ、去年亡(な)くなりました」「ふん」と余は煙草の吸殻(すいがら)から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪(まき)を背(せ)にして去る。 画(え)をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日(いくにち)かかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵(したえ)をとって行こう。幸(さいわい)、向側の景色は、あれなりで略纏(ほぼまと)まっている。あすこでも申(もう)し訳(わけ)にちょっと描(か)こう。 一丈余りの蒼黒(あおぐろ)い岩が、真直(まっすぐ)に池の底から突き出して、濃(こ)き水の折れ曲る角(かど)に、嵯々(ささ)と構える右側には、例の熊笹(くまざさ)が断崖(だんがい)の上から水際(みずぎわ)まで、一寸(いっすん)の隙間(すきま)なく叢生(そうせい)している。上には三抱(みかかえ)ほどの大きな松が、若蔦(わかづた)にからまれた幹を、斜(なな)めに捩(ねじ)って、半分以上水の面(おもて)へ乗り出している。鏡を懐(ふところ)にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。 三脚几(さんきゃくき)に尻(しり)を据(す)えて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪(あやし)まるるくらい、鮮(あざ)やかに水底まで写っている。松に至っては空に聳(そび)ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうてい収(おさま)りがつかない。一層(いっそ)の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫(くふう)をしたものだろうと、一心に池の面(おも)を見詰める。 奇体なもので、影だけ眺(なが)めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から眸(ひとみ)を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の巌(いわお)を、影の先から、水際の継目(つぎめ)まで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢(じゅんたく)の気合(けあい)から、皴皺(しゅんしゅ)の模様を逐一(ちくいち)吟味(ぎんみ)してだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼(そうがん)が今危巌(きがん)の頂(いただ)きに達したるとき、余は蛇(へび)に睨(にら)まれた蟇(ひき)のごとく、はたりと画筆(えふで)を取り落した。 緑(みど)りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩(いろ)どる中に、楚然(そぜん)として織り出されたる女の顔は、――花下(かか)に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖(ふりそで)に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。 余が視線は、蒼白(あおじろ)き女の顔の真中(まんなか)にぐさと釘付(くぎづ)けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯(たいく)を伸(の)せるだけ伸して、高い巌(いわお)の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那(いっせつな)! 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢(じゅしょう)を掠(かす)めて、幽(かす)かに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。 また驚かされた。十一 山里(やまざと)の朧(おぼろ)に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数(あおぎかぞう)春星(しゅんせい)一二三と云う句を得た。余は別に和尚(おしょう)に逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出(い)でて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴(せきとう)の下に出た。しばらく不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と云う石を撫(な)でて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。 トリストラム?シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召(おぼしめし)に叶(かの)うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力(じりき)で綴(つづ)る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲(く)んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免(のが)れると同時にこれを在天の神に嫁(か)した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝(どぶ)の中に棄(す)てた。 石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇(たたず)むとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然(もくねん)として、吾影を見る。角石(かくいし)に遮(さえぎ)られて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬(まばた)きをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。 石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山(ごさん)なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺(えんがくじ)の塔頭(たっちゅう)であったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄(き)な法衣(ころも)を着た、頭の鉢(はち)の開いた坊主が出て来た。余は上(のぼ)る、坊主は下(くだ)る。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出(おいで)なさると問うた。余はただ境内(けいだい)を拝見にと答えて、同時に足を停(と)めたら、坊主は直(ただ)ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落(しゃらく)だから、余は少しく先(せん)を越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。その間(あいだ)かつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入(はい)って、見ると、広い庫裏(くり)も本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落(しゃらく)な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々(せいせい)した。禅(ぜん)を心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作(しょさ)が気に入ったのである。 世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴(やつ)で埋(うずま)っている。元来何しに世の中へ面(つら)を曝(さら)しているんだか、解(げ)しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀(しり)に探偵(たんてい)をつけて、人のひる屁(へ)の勘定(かんじょう)をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後(うし)ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々(にんにん)勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差(さ)し控(ひか)えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。 こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来(きた)れば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦(ぼうぎょ)の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠(ずいえんほうこう)の方針である。 仰数(あおぎかぞう)春星(しゅんせい)一二三の句を得て、石磴(せきとう)を登りつくしたる時、朧(おぼろ)にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句(ぜっく)は纏(まと)める気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。 石を甃(たた)んで庫裡(くり)に通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣(いけがき)で、垣の向(むこう)は墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦(やねがわら)が高い所で、幽(かす)かに光る。数万の甍(いらか)に、数万の月が落ちたようだと見上(みあげ)る。どこやらで鳩の声がしきりにする。棟(むね)の下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂(ひさし)のあたりに白いものが、点々見える。糞(ふん)かも知れぬ。 雨垂(あまだ)れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛(いわさまたべえ)のかいた、鬼(おに)の念仏(ねんぶつ)が、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂の端(はじ)から端まで、一列に行儀よく並んで躍(おど)っている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜(おぼろよ)にそそのかされて、鉦(かね)も撞木(しゅもく)も、奉加帳(ほうがちょう)も打ちすてて、誘(さそ)い合(あわ)せるや否やこの山寺(やまでら)へ踊りに来たのだろう。 近寄って見ると大きな覇王樹(さぼてん)である。高さは七八尺もあろう、糸瓜(へちま)ほどな青い黄瓜(きゅうり)を、杓子(しゃもじ)のように圧(お)しひしゃげて、柄(え)の方を下に、上へ上へと継(つ)ぎ合(あわ)せたように見える。あの杓子がいくつ継(つな)がったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにも廂(ひさし)を突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛(とっぴ)である。こんな滑稽(こっけい)な樹(き)はたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれ仏(ぶつ)と問われて、庭前(ていぜん)の柏樹子(はくじゅし)と答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下(げっか)の覇王樹(はおうじゅ)と応(こた)えるであろう。 少時(しょうじ)、晁補之(ちょうほし)と云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦(あんしょう)している句がある。「時に九月天高く露清く、山空(むな)しく、月明(あきら)かに、仰いで星斗(せいと)を視(み)れば皆(みな)光大(ひかりだい)、たまたま人の上にあるがごとし、窓間(そうかん)の竹(たけ)数十竿(かん)、相摩戞(まかつ)して声切々(せつせつ)やまず。竹間(ちくかん)の梅棕(ばいそう)森然(しんぜん)として鬼魅(きび)の離立笑(りりつしょうひん)の状(じょう)のごとし。二三子相顧(あいかえり)み、魄(はく)動いて寝(いぬ)るを得ず。遅明(ちめい)皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。この覇王樹(さぼてん)も時と場合によれば、余の魄(はく)を動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。刺(とげ)に手を触れて見ると、いらいらと指をさす。 石甃(いしだたみ)を行き尽くして左へ折れると庫裏(くり)へ出る。庫裏の前に大きな木蓮(もくれん)がある。ほとんど一(ひ)と抱(かかえ)もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙(す)いている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明(あきら)かである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまで簇(むら)がって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然(はんぜん)と望まれる。花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。専(もっぱ)らに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧(たく)みが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避(さ)けて、あたたかみのある淡黄(たんこう)に、奥床(おくゆか)しくも自(みずか)らを卑下(ひげ)している。余は石甃(いしだたみ)の上に立って、このおとなしい花が累々(るいるい)とどこまでも空裏(くうり)に蔓(はびこ)る様(さま)を見上げて、しばらく茫然(ぼうぜん)としていた。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。木蓮の花ばかりなる空を瞻(み)ると云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。 庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人(ぬすびと)はおらぬ国と見える。狗(いぬ)はもとより吠(ほ)えぬ。「御免」と訪問(おとず)れる。森(しん)として返事がない。「頼む」と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。「頼みまああす」と大きな声を出す。「おおおおおおお」と遥かの向(むこう)で答えたものがある。人の家を訪(と)うて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭(しそく)の影が、衝立(ついたて)の向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念(りょうねん)であった。「和尚(おしょう)さんはおいでかい」「おられる。何しにござった」「温泉にいる画工(えかき)が来たと、取次(とりつい)でおくれ」「画工さんか。それじゃ御上(おあが)り」「断わらないでもいいのかい」「よろしかろ」 余は下駄を脱いで上がる。「行儀がわるい画工さんじゃな」「なぜ」「下駄を、よう御揃(おそろ)えなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計(みはから)って、半紙を四つ切りにした上へ、何か認(したた)めてある。「そおら。読めたろ。脚下(きゃっか)を見よ、と書いてあるが」「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。 和尚の室(へや)は廊下を鍵(かぎ)の手(て)に曲(まが)って、本堂の横手にある。障子(しょうじ)を恭(うやうや)しくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、「あのう、志保田(しほだ)から、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮の体(てい)である。余はちょっとおかしくなった。「そうか、これへ」 余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏(いろり)を切って、鉄瓶(てつびん)が鳴る。和尚は向側に書見(しょけん)をしていた。「さあこれへ」と眼鏡(めがね)をはずして、書物を傍(かたわら)へおしやる。「了念。りょううねええん」「ははははい」「座布団(ざぶとん)を上げんか」「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。「よう、来られた。さぞ退屈だろ」「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭(ひらにわ)の向うは、すぐ懸崖(けんがい)と見えて、眼の下に朧夜(おぼろよ)の海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火(いさりび)がここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星に化(ば)けるつもりだろう。「これはいい景色。和尚(おしょう)さん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」「そうよ。しかし毎晩見ているからな」「何晩(いくばん)見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」「ハハハハ。もっともあなたは画工(えかき)だから、わしとは少し違うて」「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨(だるま)の画(え)ぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸(じく)は先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」 なるほど達磨の画が小さい床(とこ)に掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気(ぞっき)がない。拙(せつ)を蔽(おお)おうと力(つと)めているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。「無邪気な画ですね」「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象(きしょう)さえあらわれておれば……」「上手で俗気があるのより、いいです」「ははははまあ、そうでも、賞(ほ)めて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」「画工の博士はありませんよ」「あ、そうか。この間、何でも博士に一人逢(お)うた」「へええ」「博士と云うとえらいものじゃろな」「ええ。えらいんでしょう」「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」「どこで御逢いです、東京ですか」「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」「つまらんものですよ。やかましくって」「そうかな。蜀犬(しょっけん)日に吠(ほ)え、呉牛(ごぎゅう)月に喘(あえ)ぐと云うから、わしのような田舎者(いなかもの)は、かえって困るかも知れんてのう」「困りゃしませんがね。つまらんですよ」「そうかな」 鉄瓶(てつびん)の口から煙が盛(さかん)に出る。和尚(おしょう)は茶箪笥(ちゃだんす)から茶器を取り出して、茶を注(つ)いでくれる。「番茶を一つ御上(おあが)り。志保田の隠居さんのような甘(うま)い茶じゃない」「いえ結構です」「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画(え)をかくためかの」「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」「はあ、それじゃ遊び半分かの」「そうですね。そう云っても善(い)いでしょう。屁(へ)の勘定(かんじょう)をされるのが、いやですからね」 さすがの禅僧も、この語だけは解(げ)しかねたと見える。「屁の勘定た何かな」「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」「どうして」「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀(しり)の穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」「はあ、やはり衛生の方かな」「衛生じゃありません。探偵(たんてい)の方です」「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」「そうですね、画工(えかき)には入(い)りませんね」「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介(やっかい)になった事がない」「そうでしょう」「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄(す)ましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑(ぞうふ)をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」「それじゃ画工になり澄したらよかろ」「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊(とま)っている、志保田の御那美さんも、嫁に入(い)って帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法(ほう)を問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳(わけ)のわかった女になったじゃて」「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」「いやなかなか機鋒(きほう)の鋭(する)どい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安(たいあん)と云う若僧(にゃくそう)も、あの女のために、ふとした事から大事(だいじ)を窮明(きゅうめい)せんならん因縁(いんねん)に逢着(ほうちゃく)して――今によい智識(ちしき)になるようじゃ」 静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応(こた)うるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶(うやむや)のうちに微(かす)かなる、耀(かがや)きを放つ。漁火(いさりび)は明滅す。「あの松の影を御覧」「奇麗(きれい)ですな」「ただ奇麗かな」「ええ」「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」 茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底(いとぞこ)を上に、茶托(ちゃたく)へ伏せて、立ち上る。「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰(おかえり)だぞよ」 送られて、庫裏(くり)を出ると、鳩がくううくううと鳴く。「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」 月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮(もくれん)は幾朶(いくだ)の雲華(うんげ)を空裏(くうり)に(ささ)げている。寥(けつりょう)たる春夜(しゅんや)の真中(まなか)に、和尚ははたと掌(たなごころ)を拍(う)つ。声は風中(ふうちゅう)に死して一羽の鳩も下りぬ。「下りんかいな。下りそうなものじゃが」 了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。 山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃(いしだたみ)の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。十二 基督(キリスト)は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー?ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚(おしょう)のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画(え)と云う名のほとんど下(くだ)すべからざる達磨(だるま)の幅(ふく)を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工(えかき)に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利(き)くものと思っている。それにも関(かか)わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢(ふくろ)のように行き抜けである。何にも停滞(ていたい)しておらん。随処(ずいしょ)に動き去り、任意(にんい)に作(な)し去って、些(さ)の塵滓(じんし)の腹部に沈澱(ちんでん)する景色(けしき)がない。もし彼の脳裏(のうり)に一点の趣味を貼(ちょう)し得たならば、彼は之(ゆ)く所に同化して、行屎走尿(こうしそうにょう)の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁(へ)の数を勘定(かんじょう)される間は、とうてい画家にはなれない。画架(がか)に向う事は出来る。小手板(こていた)を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色(しゅんしょく)のなかに五尺の痩躯(そうく)を埋(うず)めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界(きょうがい)に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素(せきそ)を染めず、寸(すんけん)を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技(ぎ)において、ミケルアンゼロに及ばず、巧(たく)みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武(ほぶ)を斉(ひとし)ゅうして、毫(ごう)も遜(ゆず)るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画(え)もかかない。絵の具箱は酔興(すいきょう)に、担(かつ)いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤(わら)うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境(きょう)を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。 朝飯(あさめし)をすまして、一本の敷島(しきしま)をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞(かすみ)を離れて高く上(のぼ)っている。障子(しょうじ)をあけて、後(うし)ろの山を眺(なが)めたら、蒼(あお)い樹(き)が非常にすき通って、例になく鮮(あざ)やかに見えた。 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙(よのなか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合(きあい)一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好(しこう)で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自(おの)ずから制限されるのもまた当前(とうぜん)である。英国人のかいた山水(さんすい)に明るいものは一つもない。明るい画が嫌(きらい)なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色(けいしょく)をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝(まさ)っている、埃及(エジプト)または波斯辺(ペルシャへん)の光景のみを択(えら)んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然(はっきり)出来上っている。 個人の嗜好(しこう)はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々(われわれ)もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西(フランス)の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色(けいしょく)だとは云われない。やはり面(ま)のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態(うんようえんたい)を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几(さんきゃくき)を担いで飛び出さなければならん。色は刹那(せつな)に移る。一たび機を失(しっ)すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端(は)には、滅多(めった)にこの辺で見る事の出来ないほどな好(い)い色が充(み)ちている。せっかく来て、あれを逃(にが)すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。 襖(ふすま)をあけて、椽側(えんがわ)へ出ると、向う二階の障子(しょうじ)に身を倚(も)たして、那美さんが立っている。顋(あご)を襟(えり)のなかへ埋(うず)めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶(あいさつ)をしようと思う途端(とたん)に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃(ひらめ)くは稲妻(いなずま)か、二折(ふたお)れ三折(みお)れ胸のあたりを、するりと走るや否(いな)や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸(すん)五分(ぶ)の白鞘(しらさや)がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座(かぶきざ)を覗(のぞ)いた気で宿を出る。 門を出て、左へ切れると、すぐ岨道(そばみち)つづきの、爪上(つまあが)りになる。鶯(うぐいす)が所々(ところどころ)で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑(みかん)が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走(しわす)の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生(な)りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆(いくつ)でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹(き)の上で妙な節(ふし)の唄(うた)をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋(やくしゅや)へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃(つつ)の音がする。何だと聞いたら、猟師(りょうし)が鴨(かも)をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。 あの女を役者にしたら、立派な女形(おんながた)が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住(じょうじゅう)芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然(しぜんてんねん)に芝居をしている。あんなのを美的生活(びてきせいかつ)とでも云うのだろう。あの女の御蔭(おかげ)で画(え)の修業がだいぶ出来た。 あの女の所作(しょさ)を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立(どうぐだて)を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在(あ)って、余とあの女の間に纏綿(てんめん)した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語(ごんご)に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡(めがね)から、あの女を覗(のぞ)いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。 こんな考(かんがえ)をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届(ふとど)きである。善は行い難い、徳は施(ほど)こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人(なんびと)に取っても苦痛である。その苦痛を冒(おか)すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜(ひそ)んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸(ひさん)のうちに籠(こも)る快感の別号に過ぎん。この趣(おもむ)きを解し得て、始めて吾人(ごじん)の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進(しょうじん)の心を駆(か)って、人道のために、鼎(ていかく)に烹(に)らるるを面白く思う。もし人情なる狭(せま)き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏(きょうり)に潜(ひそ)んで、邪(じゃ)を避(さ)け正(せい)に就(つ)き、曲(きょく)を斥(しりぞ)け直(ちょく)にくみし、弱(じゃく)を扶(たす)け強(きょう)を挫(くじ)かねば、どうしても堪(た)えられぬと云う一念の結晶して、燦(さん)として白日(はくじつ)を射返すものである。 芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫(つらぬ)かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤(わら)うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒(てら)うの愚(ぐ)を笑うのである。真に個中(こちゅう)の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎(げすげろう)の、わが卑(いや)しき心根に比較して他(た)を賤(いや)しむに至っては許しがたい。昔し巌頭(がんとう)の吟(ぎん)を遺(のこ)して、五十丈の飛瀑(ひばく)を直下して急湍(きゅうたん)に赴(おもむ)いた青年がある。余の視(み)るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵(まこと)に壮烈である、ただその死を促(うな)がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子(ふじむらし)の所作(しょさ)を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂(と)ぐるの情趣を味(あじわ)い得ざるが故(ゆえ)に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在(だざい)するも、東西両隣りの没風流漢(ぼつふうりゅうかん)よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画(え)なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中(りょちゅう)に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金(きん)のみを眺めて暮さなければならぬ。余自(みずか)らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己(おの)れさえ、纏綿(てんめん)たる利害の累索(るいさく)を絶って、優(ゆう)に画布裏(がふり)に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。 三丁ほど上(のぼ)ると、向うに白壁の一構(ひとかまえ)が見える。蜜柑(みかん)のなかの住居(すまい)だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻(こしまき)をした娘が上(あが)ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛(はぎ)が出る。脛が出切(でき)ったら、藁草履(わらぞうり)になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負(しょっ)ている。 岨道(そばみち)を登り切ると、山の出鼻(でばな)の平(たいら)な所へ出た。北側は翠(みど)りを畳(たた)む春の峰で、今朝椽(えん)から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩(くず)れた崖(がけ)となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨(また)いで向(むこう)を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海(あおうみ)である。 路(みち)は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分(みわけ)のつかぬところに変化があって面白い。 どこへ腰を据(す)えたものかと、草のなかを遠近(おちこち)と徘徊(はいかい)する。椽(えん)から見たときは画(え)になると思った景色も、いざとなると存外纏(まと)まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描(か)く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐(すわ)った所がわが住居(すまい)である。染(し)み込んだ春の日が、深く草の根に籠(こも)って、どっかと尻を卸(おろ)すと、眼に入らぬ陽炎(かげろう)を踏(ふ)み潰(つぶ)したような心持ちがする。 海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片(ひとひら)さえ持たぬ春の日影は、普(あま)ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸(し)み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛(ひとはけ)の紺青(こんじょう)を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗(さいりん)を畳んで濃(こま)やかに動いている。春の日は限り無き天(あめ)が下(した)を照らして、天が下は限りなき水を湛(たた)えたる間には、白き帆が小指の爪(つめ)ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢(そのかみにゅうこう)の高麗船(こまぶね)が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千(だいせん)世界を極(きわ)めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。 ごろりと寝(ね)る。帽子が額(ひたい)をすべって、やけに阿弥陀(あみだ)となる。所々の草を一二尺抽(ぬ)いて、木瓜(ぼけ)の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固(がんこ)で、かつて曲(まが)った事がない。そんなら真直(まっすぐ)かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜(しゃ)に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅(べに)だか白だか要領を得ぬ花が安閑(あんかん)と咲く。柔(やわら)かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚(おろ)かにして悟(さと)ったものであろう。世間には拙(せつ)を守ると云う人がある。この人が来世(らいせ)に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。 小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜(ぼけ)を切って、面白く枝振(えだぶり)を作って、筆架(ひつか)をこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆(すいひつ)を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見(いんけん)するのを机へ載(の)せて楽んだ。その日は木瓜(ぼけ)の筆架(ひつか)ばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚(さ)めるや否(いな)や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎(な)え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審(ふしん)の念に堪(た)えなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的(しゅっせけんてき)である。 寝(ね)るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。 寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記(しる)して行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。 ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観(み)て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸(うな)りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払(せきばらい)が聞えた。こいつは驚いた。 寝返(ねがえ)りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木(ぞうき)の間から、一人の男があらわれた。 茶の中折(なかお)れを被(かぶ)っている。中折れの形は崩(くず)れて、傾(かたむ)く縁(へり)の下から眼が見える。眼の恰好(かっこう)はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍(あい)の縞物(しまもの)の尻を端折(はしょ)って、素足(すあし)に下駄がけの出(い)で立(た)ちは、何だか鑑定がつかない。野生(やせい)の髯(ひげ)だけで判断するとまさに野武士(のぶし)の価値はある。 男は岨道(そばみち)を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺(きんぺん)に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留(どま)る。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。 余はこの物騒(ぶっそう)な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画(え)にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出(てんしゅつ)された。 二人は双方(そうほう)で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮(ちぢ)まって、原の真中で一点の狭(せま)き間に畳(たた)まれてしまう。二人は春の山を背(せ)に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。 男は無論例の野武士(のぶし)である。相手は? 相手は女である。那美(なみ)さんである。 余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐(ふところ)に呑(の)んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情(ひにんじょう)の余もただ、ひやりとした。 男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色(けしき)は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂(た)れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。 山では鶯(うぐいす)が啼(な)く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹(きっ)と、垂れた首を挙げて、半(なか)ば踵(くびす)を回(めぐ)らしかける。尋常の様(さま)ではない。女は颯(さっ)と体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣(かいけん)らしい。男は昂然(こうぜん)として、行きかかる。女は二歩(ふたあし)ばかり、男の踵を縫(ぬ)うて進む。女は草履(ぞうり)ばきである。男の留(とま)ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手(めて)は帯の間へ落ちた。あぶない! するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布(さいふ)のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐(ひも)がふらふらと春風(しゅんぷう)に揺れる。 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸(てくび)に、紫の包。これだけの姿勢で充分画(え)にはなろう。 紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体(たい)のこなし具合で、うまい按排(あんばい)につながれている。不即不離(ふそくふり)とはこの刹那(せつな)の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後(しり)えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁(えん)は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。 二人の姿勢がかくのごとく美妙(びみょう)な調和を保(たも)っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。 背(せ)のずんぐりした、色黒の、髯(ひげ)づらと、くっきり締(しま)った細面(ほそおもて)に、襟(えり)の長い、撫肩(なでがた)の、華奢(きゃしゃ)姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着(ふだんぎ)の銘仙(めいせん)さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反(そ)り身に控えたる痩形(やさすがた)。はげた茶の帽子に、藍縞(あいじま)の尻切(しりき)り出立(でだ)ちと、陽炎(かげろう)さえ燃やすべき櫛目(くしめ)の通った鬢(びん)の色に、黒繻子(くろじゅす)のひかる奥から、ちらりと見せた帯上(おびあげ)の、なまめかしさ。すべてが好画題(こうがだい)である。 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧(たく)みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩(くず)れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。 二人は左右へ分かれる。双方に気合(きあい)がないから、もう画としては、支離滅裂(しりめつれつ)である。雑木林(ぞうきばやし)の入口で男は一度振り返った。女は後(あと)をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行(あるい)てくる。やがて余の真正面(ましょうめん)まで来て、「先生、先生」と二声(ふたこえ)掛けた。これはしたり、いつ目付(めっ)かったろう。「何です」と余は木瓜(ぼけ)の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。「何をそんな所でしていらっしゃる」「詩を作って寝(ね)ていました」「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」「実のところはたくさん拝見しました」「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」 余は唯々(いい)として木瓜の中から出て行く。「まだ木瓜の中に御用があるんですか」「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」「それじゃごいっしょに参りましょうか」「ええ」 余は再び唯々として、木瓜の中に退(しりぞ)いて、帽子を被(かぶ)り、絵の道具を纏(まと)めて、那美さんといっしょにあるき出す。「画を御描きになったの」「やめました」「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」「ええ」「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」「なにつまってるんです」「おやそう。なぜ?」「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描(か)いたって、描かなくったって、つまるところは同(おんな)じ事でさあ」「そりゃ洒落(しゃれ)なの、ホホホホ随分呑気(のんき)ですねえ」「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐(かい)がないじゃありませんか」「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥(はず)かしくも何とも思いません」「思わんでもいいでしょう」「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」「ホホホ善(よ)くあたりました。あなたは占(うらな)いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」「へえ、どこから来たのです」「城下(じょうか)から来ました」「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」「何でも満洲へ行くそうです」「何しに行くんですか」「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」 この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微(かす)かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解(げ)せぬ。「あれは、わたくしの亭主です」 迅雷(じんらい)を掩(おお)うに遑(いとま)あらず、女は突然として一太刀(ひとたち)浴びせかけた。余は全く不意撃(ふいうち)を喰(く)った。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝(さら)け出そうとは考えていなかった。「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。「ええ、少々驚ろいた」「今の亭主じゃありません、離縁(りえん)された亭主です」「なるほど、それで……」「それぎりです」「そうですか。――あの蜜柑山(みかんやま)に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家(うち)なんですか」「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」「用でもあるんですか」「ええちっと頼まれものがあります」「いっしょに行きましょう」 岨道(そばみち)の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠(しゅろ)が三四本あって、土塀(どべい)の下はすぐ蜜柑畠である。 女はすぐ、椽鼻(えんばな)へ腰をかけて、云う。「いい景色だ。御覧なさい」「なるほど、いいですな」 障子のうちは、静かに人の気合(けあい)もせぬ。女は音(おと)のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下(みおろ)して平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。 しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午(ご)に逼(せま)る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸(む)し返(かえ)されて耀(かが)やいている。やがて、裏の納屋(なや)の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。「おやもう。御午(おひる)ですね。用事を忘れていた。――久一(きゅういち)さん、久一さん」 女は及(およ)び腰(ごし)になって、立て切った障子(しょうじ)を、からりと開(あ)ける。内は空(むな)しき十畳敷に、狩野派(かのうは)の双幅(そうふく)が空しく春の床(とこ)を飾っている。「久一さん」 納屋(なや)の方でようやく返事がする。足音が襖(ふすま)の向(むこう)でとまって、からりと、開(あ)くが早いか、白鞘(しらさや)の短刀(たんとう)が畳の上へ転(ころ)がり出す。「そら御伯父(おじ)さんの餞別(せんべつ)だよ」 帯の間に、いつ手が這入(はい)ったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下(あしもと)へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸(すん)ばかり光った。十三 川舟(かわふね)で久一さんを吉田の停車場(ステーション)まで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御招伴(おしょうばん)に過ぎん。 御招伴でも呼ばれれば行く。何の意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は筏(いかだ)に縁(ふち)をつけたように、底が平(ひら)たい。老人を中に、余と那美さんが艫(とも)、久一さんと、兄さんが、舳(みよし)に座をとった。源兵衛は荷物と共に独(ひと)り離れている。「久一さん、軍(いく)さは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、「そうさね」と軽(かろ)く首肯(うけが)う。老人は髯(ひげ)を掀(かか)げて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。「そんな平気な事で、軍(いく)さが出来るかい」と女は、委細(いさい)構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談(じょうだん)とも見えない。「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞(がいぶん)がわるい」「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋(がいせん)をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢(あ)える」 老人の言葉の尾を長く手繰(たぐる)と、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだまを出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。 岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋(つな)いで、一人の男がしきりに垂綸(いと)を見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足(なみあし)を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。眼を見合せた両人(ふたり)の間には何らの電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒(ふな)も宿(やど)る余地がない。一行の舟は静かに太公望(たいこうぼう)の前を通り越す。 日本橋(にほんばし)を通る人の数は、一分(ぷん)に何百か知らぬ。もし橋畔(きょうはん)に立って、行く人の心に蟠(わだか)まる葛藤(かっとう)を一々に聞き得たならば、浮世(うきよ)は目眩(めまぐる)しくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句(けっく)日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸(さいわい)である。顧(かえ)り見ると、安心して浮標(うき)を見詰めている。おおかた日露戦争(にちろせんそう)が済むまで見詰める気だろう。 川幅(かわはば)はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷(ふなばた)に倚(よ)って、水の上を滑(すべ)って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢(は)ち合せをしたがるところまで行かねばやまぬ。腥(なまぐさ)き一点の血を眉間(みけん)に印(いん)したるこの青年は、余ら一行を容赦(ようしゃ)なく引いて行く。運命の縄(なわ)はこの青年を遠き、暗き、物凄(ものすご)き北の国まで引くが故(ゆえ)に、ある日、ある月、ある年の因果(いんが)に、この青年と絡(から)みつけられたる吾(われ)らは、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、彼一人は否応(いやおう)なしに運命の手元(てもと)まで手繰(たぐ)り寄せらるる。残る吾らも否応(いやおう)なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。 舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆(つくし)でも生えておりそうな。土堤(どて)の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根(わらやね)を出し。煤(すす)けた窓を出し。時によると白い家鴨(あひる)を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。 柳と柳の間に的(てきれき)と光るのは白桃(しろもも)らしい。とんかたんと機(はた)を織る音が聞える。とんかたんの絶間(たえま)から女の唄(うた)が、はああい、いようう――と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。「先生、わたくしの画(え)をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、春風にそら解(ど)け繻子(しゅす)の銘は何と書いて見せる。女は笑いながら、「こんな一筆(ひとふで)がきでは、いけません。もっと私の気象(きしょう)の出るように、丁寧にかいて下さい」「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画(え)にならない」「御挨拶(ごあいさつ)です事。それじゃ、どうすれば画になるんです」「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」「持って生れた顔はいろいろになるものです」「自分の勝手にですか」「ええ」「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」 女は黙って向(むこう)をむく。川縁(かわべり)はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面(いちめん)のげんげんで埋(うずま)っている。鮮(あざ)やかな紅(べに)の滴々(てきてき)が、いつの雨に流されてか、半分溶(と)けた花の海は霞(かすみ)のなかに果(はて)しなく広がって、見上げる半空(はんくう)には崢(そうこう)たる一峰(ぽう)が半腹(はんぷく)から微(ほの)かに春の雲を吐いている。「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷(ふなばた)から外へ出して、夢のような春の山を指(さ)す。「天狗岩(てんぐいわ)はあの辺ですか」「あの翠(みどり)の濃い下の、紫に見える所がありましょう」「あの日影の所ですか」「日影ですかしら。禿(は)げてるんでしょう」「なあに凹(くぼ)んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」「そうすると、七曲(ななまが)りはもう少し左りになりますね」「七曲りは、向うへ、ずっと外(そ)れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸(かか)ってるあたりでしょう」「ええ、方角はあの辺(へん)です」 居眠をしていた老人は、舷(こべり)から、肘(ひじ)を落して、ほいと眼をさます。「まだ着かんかな」 胸膈(きょうかく)を前へ出して、右の肘(ひじ)を後(うし)ろへ張って、左り手を真直に伸(の)して、ううんと欠伸(のび)をするついでに、弓を攣(ひ)く真似をして見せる。女はホホホと笑う。「どうもこれが癖で、……」「弓が御好(おすき)と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。「若いうちは七分五厘まで引きました。押(お)しは存外今でもたしかです」と左の肩を叩(たた)いて見せる。舳(へさき)では戦争談が酣(たけなわ)である。 舟はようやく町らしいなかへ這入(はい)る。腰障子に御肴(おんさかな)と書いた居酒屋が見える。古風(こふう)な縄暖簾(なわのれん)が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥(つばくろ)がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨(あひる)ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場(ステーション)に向う。 いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟(ごう)と通る。情(なさ)け容赦(ようしゃ)はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸(じょうき)の恩沢(おんたく)に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑(けいべつ)したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前(ひとりまえ)何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵(てっさく)を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇(おど)かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅(ほしいまま)にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢(いきおい)である。憐(あわれ)むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛(か)みついて咆哮(ほうこう)している。文明は個人に自由を与えて虎(とら)のごとく猛(たけ)からしめたる後、これを檻穽(かんせい)の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨(にら)めて、寝転(ねころ)んでいると同様な平和である。檻(おり)の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命(フランスかくめい)はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜(にちや)に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人(ごじん)に与えた。余は汽車の猛烈に、見界(みさかい)なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様(さま)を見るたびに、客車のうちに閉(と)じ籠(こ)められたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意をだに払わざるこの鉄車(てっしゃ)とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝(つ)かれるくらい充満している。おさき真闇(まっくら)に盲動(もうどう)する汽車はあぶない標本の一つである。 停車場(ステーション)前の茶店に腰を下ろして、蓬餅(よもぎもち)を眺(なが)めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。 向うの床几(しょうぎ)には二人かけている。等しく草鞋穿(わらじば)きで、一人は赤毛布(あかげっと)、一人は千草色(ちくさいろ)の股引(ももひき)の膝頭(ひざがしら)に継布(つぎ)をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。「やっぱり駄目かね」「駄目さあ」「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪(わ)るくなりゃ、切ってしまえば済むから」 この田舎者(いなかもの)は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭(にお)いも知らぬ。現代文明の弊(へい)をも見認(みと)めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描(か)き取った。 じゃらんじゃらんと号鈴(ベル)が鳴る。切符(きっぷ)はすでに買うてある。「さあ、行きましょ」と那美さんが立つ。「どうれ」と老人も立つ。一行は揃(そろ)って改札場(かいさつば)を通り抜けて、プラットフォームへ出る。号鈴(ベル)がしきりに鳴る。 轟(ごう)と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇(ちょうだ)が蜿蜒(のたくっ)て来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。「いよいよ御別かれか」と老人が云う。「それでは御機嫌(ごきげん)よう」と久一さんが頭を下げる。「死んで御出(おい)で」と那美さんが再び云う。「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。 蛇は吾々(われわれ)の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入(はい)ったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝(えんしょう)の臭(にお)いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑(すべ)って、むやみに転(ころ)ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺(なが)めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果(いんが)はここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互(おたがい)の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔(へだた)っているだけで、因果はもう切れかかっている。 車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉(た)てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為(な)った。老人は思わず窓側(まどぎわ)へ寄る。青年は窓から首を出す。「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練(みれん)のない鉄車(てっしゃ)の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等(われわれ)の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。 茶色のはげた中折帽の下から、髯(ひげ)だらけな野武士が名残(なご)り惜気(おしげ)に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合(みあわ)せた。鉄車(てっしゃ)はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然(ぼうぜん)として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわ)れ」が一面に浮いている。「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と余は那美さんの肩を叩(たた)きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟(とっさ)の際に成就(じょうじゅ)したのである。

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